日本語の押韻論:完全韻とは何かを考えてみる
こんばんは。Sagishiです。
今回の記事は、自分のなかでアップデートされつつある押韻論について、新しい考え方などの概括をざっくりとまとめていこうと思います。自分の考えの整理のためにもやっていきたいと思います。
1 音節主音による押韻について
わたしは2020~2021年にかけて音声学の知識を取得したことで、日本語の押韻について、様々な新しい考えを提出できました。
なかでも「軽音節」や「重音節」という定義を音声学から取得し、『重音節韻』や『長短韻』といった日本語のライムタイプを定義することができるようになったことは大きかったです。日本語のライムタイプの定義を、より正確にデッサンできるようになりました。
ただ、とりあえず『重音節韻』や『長短韻』を「不完全韻」にカテゴライズするまでは良かったのですが、徐々に『重音節韻』や『長短韻』でもかなりの響きの効果が出ているため、「完全韻」と「不完全韻」の区分けに課題があるのではと思うようになってきました。
例えば「カーネーション/完成度」というライムペアがあったとします。両者の成分は[kȧanėeɕȯn/kȧnsėedȯ]であり、尾子音部に差異があります。しかし、両者の音声上の響きの相似度は高いです。それゆえに、ほぼ完全韻に相当する効果が認められますし、上記の例を完全韻だと思っているラッパーも結構いると思います。
しかし、「カーネーション/完成度」は明らかに音声の成分に違いが含まれています。なぜ響きの効果が出ていると感じるのか、これがどういうことなのか理解するために、英語のライムタイプを援用できると、わたしは考えました。
英語のライムタイプに「Multisyllabic rhymes」(多音節韻)があります。例えば「Passing the boon/Black and maroon」というライムペアがあり、音声成分は[pˈæs.ɪŋ.ðə.búːn/blˈæk.ən.mə.rúːn]です。「pˈæs/blˈæk」「búːn/rúːn」のように、ストレスのある音節だけで押韻されています。非ストレス音節は押韻してもしなくても良いのです。
この考えを日本語に適用するならば、音節主音で押韻されていれば押韻として十分であり、音節主音に従属する音、非音節主音は押韻していなくても良い、という考えを得ることができます。「カーネーション/完成度」の例はそれに該当すると考えられます。
この考えが支持されるかを確かめるために、さらに「順風満帆/十分だった」[ʑu̇npu̇umȧnpȧn/ʑu̇ubu̇ndȧQtȧ]のように、非音節主音の要素がすべて異なるペア(重音節韻と長短韻が多用されている例)を用意します。
このペアの響きの相似度を考えると、やはり高い部類に入りますし、押韻として十分な効果をあげています。そして、その効果が出る根拠理由は音節主音の母音が揃っているからだといえます。
その他の変数の影響を考慮して、「順風/空軍」[kˈu̇ugu̇n]という頭子音とトーンアクセントが異なるペアを用意します。この例でも、一定の響きの効果が確認できるため、日本語の押韻において、非音節主音は合わせなくても効果が出るという仮説は、支持されると見て良いと考えます。
発話をベースにされるものであれば、音節主音だけが押韻されているケースは十分に高い響きの効果が得られる。しかし、そうなると色々な疑問が浮かんでくることになります。
2 多音節韻を考える
仮に「順風/空軍」というペアを「完全韻」のカテゴリーに入れると、「カット/カント/カート/カイト」といったペアも「完全韻」ということになります。
「Multisyllabic rhymes」では、非ストレス音節の音は無視されるので、「カット/カント/カート/カイト」のような状態は頻出しますが、これを「完全韻」とするのは個人的に違和感があります。
音楽ではこれで十分に効果的に機能するのでしょうが、文字で読むとなぜか違うと感じますし、個人的に詩歌を書いても「カット/カント/カート/カイト」のような押韻には微妙な印象を持ちます。
そもそも「カット/カント/カート/カイト」[kȧQtȯ/kȧntȯ/kȧatȯ/kȧıtȯ]には、音声成分の非音節主音部に明確な差異があります。これをどう捉えるかが鍵かもしれません。
そうなると、字づらの問題なのでしょうか? 西洋詩や漢詩を見ると、「eyes/lies」[aɪz/laɪz]「金/深」[kin/sin]のように字づらが異なる押韻は多数存在しているので、本質的な問題にはならないでしょう。
西洋詩や漢詩が、音をベースに押韻を組み立ててきたのは明らかなので、多音節韻じたいに何らかの課題があるのかもしれません。というのも、多音節韻は、HIPHOP成立以後に定着した概念であり、西洋詩や漢詩でほぼ見ることがないからです。多音節韻は、『HIPHOP(音楽)』に強く依拠して生まれた新しい定義だといえます。
そもそも多音節韻は「完全韻」などにカテゴライズされるようなものなのでしょうか? 第一音節は完全韻だけど、第二音節は不完全韻、というケースが多発するはずなので、多音節韻を「完全韻」や「不完全韻」だけで捉えていくのは難しいのかもしれません。
そうなると、すでに多音節韻が前提になっている現代のHIPHOPの環境において「完全韻」や「不完全韻」という定義を使うことには、もとより課題があったのだと考えていいのかもしれません。「完全韻」や「不完全韻」の概念を整理していく試みが必要なのかもしれません。
3 普遍的な完全韻の定義を確認する
「完全韻」と「不完全韻」の定義に課題があるとして、普遍的な定義に仕上げていくことができるのかを考えないといけません。たとえば音声学であれば、特定の言語にしか使えないような定義を設定することは、一般的ではありませんし、推奨もされないでしょう。
少なくとも英語と日本語で共通するような押韻の定義を設定することが可能なのか、模索する必要があります。
英語と日本語の押韻の違いをざっと確認すると、
上記の条件を加味して定義を構成しようとすると、
なんかだいたい従来の「完全韻」っぽい定義になりましたね……現在のわたしではここからへんが限界でしょうか。
まとめ
今回の記事では、的確な状態まで考えを整理することはできなかったですが、個人的な直感も踏まえてまとめると、
今回はこんなところですね。また色々考えたいです。