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緊張と緩みについて気になっています。
今日の朝活は、
「何の付加価値をつけますか?」でした。
昨日のテーマは、「分かち合い」についての話で、「私たちはどこに向かっていくのか?」という落とし所を話し切り、そして今日は、具体性をもたして、「では分かち合いの心持ちをもって、どうするの?」という話の流れだかと感じ、捉えてみながらいます。
私は、「付加価値」ということに対して、あまり関心を示してこれなかったものがあって、どちらかというと、職人的な感覚が強い人だと感じています。
「大切なものを掴みきっていったなら、わざわざ、「付加価値」などを考えたりしたくても、まわりの人にも、自然と影響も及ぼしていくものなんじゃないのか」と、「恣意思惑」を嫌がる傾向があった訳です。
だけど、そんな自分に対して、「かたくなだな」「むしろ、自然じゃないんじゃないか」という思いもあるんですね。
それに対しては、最近、練り上げている共通認識をもつ仲間の共通言語である、「自分の中心にいること」にこたえがある。と思っています。
既存の場では子どもたちに、「ピカピカの心」というような表現をしています。
それを言ってしまったら、いつもそれだけで集結するのですが、そこが難しいから、体験と体感を持った真剣勝負の学びを続けている。「ああではなくこうではない。こうしよう!」潔さを持ち、コビリツイタヨゴレを捨て去っていく。
いのちからの熱量をかけ、コツコツ積み上げていきながらも、着地地点を掴もうとしていること。掴めている。という自分がいる時は、そこもきちんとわかること。そんなところも、大事だと思っております。
一日の時間の中で、練れる状態であったり引き締まった自分で居続けている訳ではなく、緩む時間もしっかりあります。
収縮と弛緩については、一つ、気になっている課題です。
少なくとも、今は、全体として、弛緩ではなく、ぎゅっと集中をして、力をふり絞りたい!という状態です。(そうなると、本気をぐっと出さないといけない状態の人からの相談や、仕事の依頼の話がありします。)
付加価値についての話から、逸れてすぎている内容で話がすすんでしまいました。
「付加価値」とは、自分ではなく相手をみて、相手を想いやり、生まれ、生み出していくことですよね。
そんな付加価値について話しようとしながら、ベクトルは、しっかり自分向きの話でした。
人を感じながら、緩みもしながら、今日という一日を過ごしたいと思います。
(寝坊からはじまった朝なので、説得力がない。。笑)
雪のため、この土日の能登行きがなくなったという連絡がありました。。
計画をたてて、生かす時間にしたいです。(引越しの準備がある)
それでは!
よき一日になさってくださいませ。
いってらっしゃい!