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”「人口」という呪縛”読書note95「日本の地方政府」曽我健悟著

地方自治体の方と話す機会が増えたこともあり、手に取ってみた。”地方政府”という言葉、社会の時間に聞いたかな、ふーん、地方の政府ね、と分かったような気持ちになっていた。

さて、地方政府ってどこになるのか? 国には国会があり、内閣があって、まあ政府と言ったら内閣と官僚のいる各省庁かな、とか漠然に想像できるが、地方政府って?

市町村には首長がいて、議会はある。じゃあ、内閣みたいなのはないなあ?役場や役所の人たちが、地方の官僚ということ?だから、役場や役所が地方政府??

正直、政府って感じはしない。「地方政府の役割」とか新聞記事とかで出てきたら普通に読めるのに、普段の会話で、「うちの地方政府は、ここがダメだね、ここは素晴らしい」とかは言わないな。「うちの役場は、こうなんだよ」となるよね。

地方政府の役割は、中央政府の政策の実施を委任されて実行する場? それなら首長っている?選挙で選ぶ必要ある? 国に対して利益や負担の調整で交渉する立場? 考えてみると、なかなか難しい。

地方創生とか言われているから、これからはかなり独立性を求められる存在になるのか?地方政府は?

日本では、人口が何万人とかいう量的側面には過剰な意識があるが、質的にどのような意味をもつのかはあまり意識されない。

地方政府が必要とされるのは、この”存在意味”を創り出すことにあるのかもしれない。

計画の策定自体が自己目的化しがちだったからだ。理念から実現手段までの明確な構想がない限り、トップダウンで計画を立案し、詳細化・具体化していくことは容易ではない。企画部門は、「ホッチキス部門」と揶揄され、ボトムアップで各部署がだしてきた計画を束ねる存在に終わることも多い。

残念ながら、今の自治体は、事務をこなす役場・役所といった存在を超えられていない。政府と名乗るためには、頭脳や企画実行力の強化が喫緊の課題ではないだろうか?

知り合いの役場の方が、”私は政府になろうと思ったことはない、むしろ住民(町民)自治を目指したい”と話していた。確かに、政府という響きに”上から目線”、トップダウン感は否めないから、その気持ちもわかる気がする。が、住民自治を行うにも、その地域の頭脳や行動力が必要なことには変わりはない。

それにしても、我々は、日本国民であり、○○県民であり、▽▽市町村民でもある。それぞれにどう関わっていくかも、実は難しい問題かもしれない。

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