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【manda-la】(後半)
「輪」であるからして、始まりも終わりも無いように思えるが、しかし宇宙の始まり、生命の始まりは必ずどこかにあるはずだ、と考える者も存在する。
どこかに始まりがあって生命というものは生まれたのではないか、という疑問だ。
それでは始まりはどこか。我々の生命の源は何か。
小さな細胞から誕生する生命の、その細胞は一体どこからやって来たのか。
ひとたび考えを巡らせてみれば、まるで真っ暗闇の、それこそ宇宙空間に放り出されたように、答えなどどこにも見つけられないような気持になってくる。
そう、答えなど、どこにも無いのだ。
物理的に解明するために、人々は探求を続けているが、結局のところ「全ての始まり」については分からない。
神の存在か、はたまた宇宙の気まぐれか。
なんにせよ、我々は生命を紡ぎ、そして生きている。
この広大な宇宙の中の、地球という美しい惑星で、間違いなく生命を育んでいる。
万華鏡のように「完全」で「完璧」な生命を紡ぎ続け、決して途切れる事のない「輪」の中でめぐる生命のひとつとなっている。
暗闇の中で出会った2つの遺伝子が化学反応を起こして、
細胞が信じられない速度で分裂と増殖を繰り返していくその懐となる子宮は、まさに宇宙空間そのものである。
この小宇宙で繰り返される生命の誕生は、めくるめく曼荼羅図のように美しく変化に富み、神秘に満ちている。
女性の体内で育まれる生命の源は、
宇宙的な神秘性や神聖さはもちろん、
無条件の愛情でもあり、
そして結ばれた男女の愛でもあり、
また生命の「輪」を紡ぎ続けるという一種の本能的な使命感のようなものでもある。
そして小宇宙、子宮の中で育まれた生命は、やがて地球という美しい惑星の中に羽ばたき、
生命の「輪」の中に入り、
この「完全」で「完璧」な世界の秩序の中のひとつとなる。
我々はこの真理を知り、
そしてこの真理の中で生命を燃やしている事を受け入れ、
既に「輪」の中にいる事、
そしてこの世界が既に「完全」で「完璧」である事に身をゆだねるのだ。
点から始まり線となり、
そしてその線の終わりで生命が絶たれるのではない、という事を知らなければ、
人は「生きる」という事の意味を見失い「死」を極度に恐れるようになる。
終わりが来るという事は破滅をも彷彿とさせるからだ。死の淵から先が見えない事ほど不安になる事はない。
ところが、我々は全て「輪」になり繋がっている。
この世界は、生命の輪は「完全」で「完璧」なものなのだ、という事を知れば、
生命が点から始まり線のように伸び、突然その線が切り落とされるなどという事が無いと分かるだろう。
常に繋がり続け、輪の中でめぐっていると分かれば、我々は死の恐怖から解放され、与えられた生命を慎ましく生きていくことができる。
そう、生命とは、生命の連鎖とは、曼荼羅のように「完全」で「完璧」なものなのだ。
我々はこの美しい万華鏡のような世界の中で、めくるめく世界の変化に身をゆだねるだけで良いのだ。