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『月夜の叫び』(掌小説)

雨上がりの晴れた空に大きな満月が世界を照らす夜、残業を終えたサブローは空を見上げることもなく、月の光を遮るネオンと、コオロギの鳴き声をかき消す店の営業曲が跋扈する繁華街を通り抜けて一目散に待ち合わせの場所に向かった。そして学生時代の友人達と落ち合い、カラオケ店に入った。
友人達が次々と叫ぶ曲名を調べ、サブローが機械に入力していく。
そのとき、隣の部屋から女性のシャウトする声が聞こえてきた。
「すんげえ声。おいサブロー、どんな女か見てこいよ」
「仕方ねえなぁ」と言いつつ、部屋を間違えたフリをして隣のドアを開ける。
そこには、頭をスイングさせ、髪を振り乱し、鬼の形相で叫ぶ夜叉がいた。いや女性だが、そうとしか見えなかった。猛獣を前にしたシマウマのように部屋からすぐさま立ち去ろうとするが、夜叉がそれを許さなかった。
「ゴラァー! 待ちやがれ! 何勝手に入ってきて出て行こうとしてんねん!」
意を決して振り返り、ゆっくりと髪をかきあげた女性を見てサブローは固まった。
「ひ、ひめこ先輩、ですよね?」
「ち、違うわ!」
「え、でも」
「仕方ないわね。認めるわ。私って、満月の夜にだけ無性にデスメタルが歌いたくなるの。叫びたくなるのよ! でも誰にも言わないで。これ、絶対に、秘密だから!」
サブローは何度も頭を縦に振る。

目の前にいるのは紛れもなくサブローが憧れている姫子先輩だった。
サブローの営業成績はいつもドベ。会社の誰しもが邪魔者扱いをするが、同じ部署の先輩である姫子だけは違った。姫子だけはサブローを見放さず、最後まで仕事のフォローをしてくれるのだ。営業成績トップの姫子は、それを鼻にかけることもなく、後輩思いで社内の人気者。要するに"いい女"というやつだ。

そんな憧れの先輩の知りたくもなかった秘密を聞いてしまったサブローは、その場から一刻も早く出たいと立ち上がったが、夜叉がそれを許さなかった。
「もし喋ったら、会社にいられなくしてやるから! わかったならお前も歌え!」
姫子からマイクを渡されたサブローは、覚悟を決めて画面に出ている歌詞を姫子に続いて叫ぶ。
「殺す! 殺す! お前を殺す! 秘密をバラせばお前を殺す!」

終了時刻まで付き合わされたサブローが、ようやく部屋に戻ると、部屋には自分の鞄と支払いの伝票だけが残されていた。
「最悪、なんかな?」
あんな裏の顔があっても、結局姫子は誰かいい男と結婚するんだろう。

やけになったサブローは、酒の勢いもあって二ヶ月後の会社の忘年会で姫子の秘密を喋ってしまった。
「そういえば少し前、カラオケに行ったら隣でシャウトしてる女子がいてたんやけど。それ、姫子先輩やった。ほんまに、たまげたわ」
場の視線が姫子に集まる。すかさず「歌くらいええやろ」というフォローが同僚から入った。瞳に水を溜めた姫子が、芝居がかった声で語り出す。
「十月の満月の夜、ひとりでカラオケに行ったんです。そしたら、突然サブロー君が部屋に入ってきて、狼みたいに怒鳴り散らして、襲われそうになりました。後で何をされるかわからないから、怖くて警察にも行けなくて……」
「ウソや!」
必死に弁明したが、サブローを信じる者はおらず、会社からは一週間の自宅待機が言い渡された。
「やっぱり最悪やった」

自宅待機が解けた日。同僚はよそよそしいし、女性社員の視線は刺すように冷たく、サブローはクビにこそならなかったものの、これまで以上に肩身が狭くなった。

今年最期の満月が夜道を照らし出す。それは暗く染まったサブローの心を優しく慰めるようでもあった。
トボトボと帰宅するサブローの背中に、叫び声が届く。
「サブロー、今日も歌いに行くぞ! 覚悟しろコラ!」
振り返ると夜叉のような笑顔の姫子が駆け寄ってくる。
「断るなら、次こそ会社にいられなくしてやるから!」
サブローの肩に姫子の腕が絡む。サブローはそのままカラオケに連れ去られるのであった。

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