『魂を撮ろう』石井妙子著

映画MINAMATAの帯がついて〈ユージン・スミスとアイリーンの水俣〉の話だが、膨大な資料をもとに書かれている。
二人のそれぞれの生い立ち、チッソ以前の水俣の地の歴史、長く複雑な水俣闘争、ユージンとアイリーンの水俣、そののち…と読みやすい一冊だ。

ユージンとアイリーン、どちらも深く人生で傷ついた人間として水俣の地に立ち患者さん達と交流、撮影したことが伝わる。映画MINAMATAではそんな生い立ちなどはなかったから、カメラマンとしての使命のようなものをまずあてはめていた。その原動力はもっともっと深いところに二人にあったのだ。

沖縄戦撮影時のユージンの怪我は相当なものだったらしい。身体中に破片が食い込み取り除き切れなかった。上顎も吹き飛びものが食べられなくなり目もやられた。入れ歯にしても、食べられるものは限られ、酒量が増えたようだ。

フィラデルフィアの話も衝撃だった。黒人の少年たちにからまれ、くくりつけられ、睾丸にボールをぶつけられた。通りかかった黒人の大人に助けられたという。白人への差別に対する仕返しのような行動だったが、ユージンは恨まなかった。それよりも少年たちと再び会って話がしたいと言ったのだ。

1971年ニューヨークで行われたユージンの展覧会のタイトルは〈Let Truth Be the Prejudice〉

「願わくば、真実が我々の先入観になるように(願わくば、真実による偏見を)」
「反語的に使った言葉です。人間はだれでも、偏見を免れることはできない。すべての人間がなんらかの偏見を持っている。私もそれから自由ではないでしょう。しかしせめてこれを真実に近づけたい、そう願うからです」

ユージンの格言ともなった言葉であるという。(ゴシック部分はネットの記事の訳より)

五井工場での撮影でコンクリートに叩きつけられそれが元でユージンはさらに体調が悪くなってしまった。もともと悪い口に手を入れられ引きずられたとも。写真や証言、新聞記事にもなったのに会社側は揉み消した。

水俣問題は私にはまだまだ知らないことだらけだ。
細かいところを知ることによって始まる〈共感〉があるといつも思っている。写真でも、小説でも、短歌でも…。
水俣問題は今も続いているし、大変なことがあったんだ…から始まる次を考え、問い続けることが一歩だ。

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