句集『式日』
安里琉太さんの第一句集『式日』を拝読。
安里さんとは沖縄のシンポジウムで一度だけお会いしたことがある。確か、息子と同い年。
炎天をだらりと売られ貴金属
だらりがいい。結句のかたい表現も決まっている。
ゆかりなき秋の神輿とすこし行く
誰にでもあるような経験だが、17音にすっきりと整えてある。
このあたり同じ神なる神輿かな
京都などでも下鴨や上賀茂の氏子である小さな神社がいくつもあり、祭りがある。視点が面白い。
初雪が全ての瓶に映りこむ
映像的。映りたり、でなく、映りこむがいい。
猫の子が枕の中を知りたがる
爪を立て開けようとしているのか?何にでも興味津々の子猫がいきいきと表されている。
秋の蝿かほに当たつてゆきにけり
秋の蝿は冬よりもまだ元気な感じ。ちょっと急いでそうな蝿。
霧深く我にしたがふ霧のあり
短い詩型のなかでリフレインをつかうというのはよほど計算されたものでなければ傷になるだろう。短歌でも同じだ。感情的にリフレインしてはいけない。始めの霧と終わりの霧にあきらかにちがいがあり発見がある。したがふ、という動詞!
足の裏ぶ厚く歩く冬至かな
感覚的なものだが、鋭さがある。形容詞の使い方!
手毬麩の箸をのがれて谿は雪
俳句では、て止めのあとにがらっと変わって背景をつけることがある。こういう句はオーソドックスなタイプなのだろう。手毬麩の小さくてつるっとした感じがのこる。
ねむる間も海のうごいて鏡餅
これも方法は前の句と同じだが、この句の場合、2句目までが壮大で3句目は小さく時季を表している。1番好きな句。
永き日の椅子ありあまる中にをり
こういった句に何か新しさを感じる。
俳句をそれほど読み込んでいないので軽い鑑賞となってしまったが、楽しい一冊だった。