パリのアトリエ~そこで出会った人たちと学んだこと
パリには、たくさんのアトリエがあり、絵画、彫刻、写真、。。。分野も様々なアートの中から選ぶことができます。本を装丁する、ロココ調の椅子を創る、針金アート、アクアチントなどの銅版画、水墨画、彫金etc。。。
一般市民誰もが通えて、料金もとても格安でした。中でもボザールが一般人向けに開いている講座は、美術大学の講師が直接教えてくれることもあり、大人気でなかなか予約するのも難しいようでした。
アトリエに通って気が付いたのですが、美大を出てまったく別の仕事をしている人や、建築家を定年退職して平面の絵を描くことに没頭してる人もいて、フランスでもアートで食べていくのは難しいのだな、と切実に感じました。
私は15区にあるアトリエのグザビエ先生のアトリエが気に入り、6年後にパリに戻った時もすぐに、そこに通いました。それ以外にも家に近いアトリエを見つけ、講師の先生と話して、全くテーマの違うことを自由にさせてもらえることになりました。
自宅にも絵を描くスペースは十分あったのですが、家事が頭にちらついてなかなか集中できません。1メートル近くあるキャンバスや画材をヨイコラショっと掲げてアトリエに行くのは大変でしたが、それでも環境が変わり、何よりも人の眼があると、不思議と集中できるものです。
パリのアトリエの先生は、生徒の要求にもよりますが、先生が生徒の作品を手直しすることはしませんでした。特にグザビエは、こういう方法もあるよ、こんなアーティストの作品知ってる?僕ならこうするけど、それはあなたの作品だから、と私たちをアーティストとして尊重してくれます。それが物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、私には心地よく、いい具合に刺激をもらっていました。
それと、グザビエのアトリエにずっと通ったもう一つの大きな理由があります。それはモニークという私より一回り年上のアーティストの存在でした。
アトリエには、たくさんの人の作品が飾っているのですが、最初にモニークの作品を見た時の衝撃は今も忘れません。アクリル絵の具をふんだんに塗りたくり、一つ間違えば汚くなってしまうキャンパスが、絶妙なバランスでなにか威厳というようなものを保っていました。そこにいる人物像は、表情もよくわからないのですが、その佇まいは、大変な人生すべてを受け入れているかのように私には見えました。具象と抽象との間で、見ている者の想像を刺激するようなものでした。大きい作品は、縦150センチくらいのものもありましたから、なお一層迫力を感じました。モニークの作品は、たいてい大抵は西洋史のマスターピースのカタログから構図を取って描き始めるのですが、仕上がった時には全く元の絵の構図も色も失っていて、独特の世界を奏でていました。
意図したわけではないものの、それだけ彼女の作品に魅了されると、自分の色もアトリエにいる間は暗ーくなりがちでした。それに、彼女の直感的で野性味のあるアートを目のあたりにしてしまうと、私の描くものはどうしても、計算された、頭でっかちの絵に見えてしまい、何度も何度も描きなおしてしまいました。
今でも、自分のものが感性より理性で描いてしまっている気がして、それはコンプレックスとして、また課題として残っています。
モニークは当時航空会社に勤務しながら、時間があるときだけアトリエに来ていました。作品を発表する気も売るつもりも全くなく、ただアトリエで描くことが、彼女の精神状態の慰め、癒しになっているらしいのでした。彼女の作品を大いに気に入ったギャラリーが個展を提示しても、やりたかったらやってもいいけど、私は積極的にかかわりませんよ、というつれない返事だったそうです。
モニークのようなすごいアート作品を創り上げる人でも、それを仕事にしようと思わないケースもあれば、アトリエに通ってる人の中には、まったくそのレベルに達していないような人でも、(ごめんなさい!)アーティストとして絵を売ることだけで生活していこうと考える人もいました。と言っても、それはあくまで私の主観で、アートの世界には、いい作品、悪い作品は存在しないのかもしれません。その証拠に、最近私が出展したプロバンスのアートショーでも、私からすると部屋のデコレーションにもならないような作品が出展されていて、買っていくお客さんもいるのです。
またグザビエが三か月ごとに書き換えて張り出してくれる、アートショーや展示会の情報も、とてもありがたいものでした。こんなところにギャラリーがあったのか!というところに、涙が出そうな好みの作品が展示されていると、宝物を探し当てたような幸せな気持ちになりました。
パリには、様々なアーティストが世界から集まってきています。そこまで有名でない作品でも、おおーっと心を持っていかれる物を目にする機会もたくさんありました。ウインドーや雑誌で紹介される作品は、作品の質でコレクターやギャラリーを惹きつけるかどうかが決まります。そこには有名な美大を出たとか、何年間●●会に出展しましたという肩書は飾れません。(まったく関係ないというと嘘になりますが、アジアほど重視されないと思います)
パリのアトリエにも様々な個性があり、難しいテクニックや技術を学びたければ、もっとレベルの高いところもあったのかもしれませんが、私はそういうところに行こうとは思いませんでした。自分のできる範囲で通ったアトリエで、十分な刺激を受けていたと思います。
次回も続けて、海外で私が感じたアート事情について、お話したいと思います。