見出し画像

絵を描き始めたきっかけ(4)

今は抽象画家として活動していますが、ここに至るまで、結構紆余曲折がありました。私がどんなきっかけから、絵を描くことを仕事にし始めたのか、20年ほど昔に遡ってお話しています。

パリの17区の私のアパートから歩いて5分ほどのところに、そのアートスクールはありました。私のとったコースは、アート一般の基礎を学ぶもので、素描、色彩の基礎から、石膏デッサン、ヌードデッサン、クリエイティブ、遠近法、粘土彫刻、針金細工、現代美術史など、色んなクラスを朝から4時くらいまで毎日みっちり学びました。週に一度はルーブルやロダン美術館、もしくは無名のあらゆる美術館に行って写生しました。授業では絵を描いたり何かを創る作業に没頭し、下校時には宿題のための画材を買って、家でも2,3時間かけて宿題を仕上げる(主に絵を描く)という生活でした。

朝早く学校に行く道でふと、今までこんなに楽しかったことってあっただろうか?!と全身に幸せを感じて歩いていたのを今でも覚えています。その頃は17区の住宅街にすんでいて、特別に美しい街並みでもなかったのですが、フランスパンはおいしいし、ワインも安くてサイコー、毎日やりたい事やって暮らしていれば、そりゃー楽しいですよね。フランス人は他人のプライバシーを尊重し、距離を置くのも、当時の私には合っていて、心地よく感じていました。

面白かったのは、フランスでアートの道を選ぶ人たちは、必ずしもアートが得意ではないということです。入学したころの生徒たちは、デッサンも色付けも、半分以上がとてもうまいとは言えないレベルでした。特に素描はアジア人が上位を独占しました。(私のクラスには、韓国人が二人、香港人が一人、日本人は私一人でした)もしかしたらアジア人は、漢字を学ぶから絵がうまいのか、お箸を使うから手が器用なのか?今でも私はそれがアジア人がデッサンがうまい理由かと思っています。

勿論フランス人生徒の中にも、テクニックもうまく、アイデアの豊富な人もいます。特に自分の作品を説明するのが、みんなとても上手でしたし創作のアイデアも独創的でした。とにかくフランスの若者の学校選びの基本が、「自分が得意なこと」ではなく、「自分がやりたいこと」というのが、私には驚きでした。

このコースが終わると、学校内にあるシアターの舞台を作るコースに進んだり、イラストやアニメーション、ファインアート、建築系の学校にそれぞれみんな進学していきました。その中で私は、持っていたお金も底をつき、パリでの生活はこれで終わりです。

その頃付き合っていた台湾人の彼と共に台北に行くか、日本に戻って就職するか、いずれにしろアートとはこれでお別れだと思いました。

卒業制作を提出して、先生からアドバイスをもらう最後の授業で、ヌードデッサンの先生が私に、「あなたはこれで辞めてしまうのはもったいないわ。ぜひアジアへ帰っても絵を続けなさい」と励ましてくれたのがとてもうれしく、今も覚えています。

でも、その頃の私はまだ、「絵なんかで食べていけないんだよー、アジアでは!」という考えに縛られていて、絵を続ける、という選択肢はありえないという気持ちでした。



いいなと思ったら応援しよう!