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上には上がいる?!

少し記憶を遡って、1993年のこと。前年、ジャンヌ・ダルクが決起した街に工場を作りました。

オルレアンの少女

工場進出に関わるのは初めての経験でしたが、現地調査団の一員になって、フランスの工業団地(あるいは予定地)を数か所を巡りました。色々な検討の結果、ジャンヌ・ダルクの街の郊外に工場進出が決まりました。工業団地予定地にはジプシーが住みついており、のちに市の投資誘致局では色々と苦労があったようですが、まったくの更地に最先端製品の工場が出来ていく様を観察するのはベルギーからの通いであった自分にも非常に楽しいものでした。
※工場立ち上げ時の赴任者は工場長以下4名のみで、たまたま調査団の一員から隣国の駐在員となった自分が応援で頻繁に馳せ参じていました。

竣工式では本社から会長が参加し、ひと騒動があったのですが、それはまた別途で。工場の食堂でランチタイムにワインやビールを出す出さないの話になったのも良い思い出です。

Duty Suspension

工場進出から半年程過ぎた頃、唐突に製造部長T氏がブリュッセルに駆け込んできました。T氏いわく「米国の同製品の工場では現地調達が困難な部品について、輸入関税が免除されているが、EUでは関税がかかり、価格競争力に大きな影響が出ている。なんとかならないのか?」 我が所長はすぐに次席に指示し調べさせて、EUでも現地調達が不可能な部品・材料については、Temporary Duty Suspensionという制度があり、実は別製品を製造するドイツの工場の先端加工部品について過去にその適用を受けていた、と数日後には突き止めました。そして、今回EUへの申請を至急提出するため、自分が手伝うことになりました。※申請は半年に一度?で、タイミングを逃すと半年待ちになる。

Official Journal

T氏と苦労しながら、なんとか必要な書類を整え、締め切り期限までに提出でき、オルレアン工場からの申請がEUの官報(Official Journal)に掲載されました。
※反対や不服がある団体や企業や個人が申請却下を要求できる仕組みあり
1か月の申請却下受付の期限が残り数日に迫り、正直ホッとしていた矢先、或る巨大企業A社から申請却下のクレームレターが来た(A社が当該部品を供給可能)とEUの担当部署から通知を受けました。
T氏いわく「確かにA社も同製品を製造しているが、基幹部品の仕様は大きく異なっており、量産できるとは思えない」とのこと。とはいえ、我々に「A社は供給できない」と証明する義務が発生し、当該部品の仕様書を送り、見積もりを取るアクションを直ぐに取りました。
じりじりする日々を過ごしながら、A社回答を待っていたのですが、数週間後、A社から製品仕様を検討の結果、「やはり供給できない」との連絡が来ました。T氏や工場長が大喜びしたのはもちろんですが、年間数億円のコスト対策に貢献出来たことに自分も達成感を得たのでした。

上には上が…

それから数か月後、いつものWeeklyチェックで官報を斜め読みしていると、なんとA社が同製品の例の基幹部品のTemporary Duty Suspensionを申請しているではないですか!!!
ん? つまり、我々を困らせる事よりも、A社も基幹部品の内製を止めて、本国の工場から輸入に変えた方がベターと判断した結果、我々への該当部品の供給不可という回答を出した、ということが分かりました。完成品の市場シェアは彼らの方が何倍もあったので、数10億円のコスト対策になった筈です。

政府のルールを日々モニタリングする専門担当官が存在し、競合の動きに目を光らせ、使える手段をあまねく検討して、アクションしていたに違いなく、頭から冷や汗が出たのを今も覚えています。

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