かつて軍艦島にあった風景へ
長崎への旅で軍艦島を訪れた。思いもよらず、軍艦島へ
のフェリーに乗ることができた。徐々に軍艦のように
見える島が近づいてくる。軍艦島には、1890年に三菱
の所有となり1974年の閉山に至るまで、日本の近代化
を支える炭鉱として、そこに住む人々の生活があった。
軍艦島デジタルミュージアム。軍艦島の変わりゆく姿
とかつての風景をデジタルで展開し記録し続ける所
65号棟から70号棟、30号棟が調査された動画も
いろんな角度から軍艦島を楽しんで
そして訪れることのできない建物内部に想いをはせて
世界遺産となった軍艦島にあった共同体としての形
軍艦島はもとは南北約320m、東西約120mの岩礁で、
数回の埋立工事により、南北約480m、東西約160m
の大きさに拡張された。その島には1960年の最盛期
の頃には5,267人の人々の生活があり、その人口密度
は東京の特別区の5倍以上にも達していたという。
その生活の場となったのが島に建てられたアパート。
1916年に日本初の鉄筋コンクリート造のアパートが
建てられた後に、次々と高層アパートが建設された。
1974年に無人島となった後、島に残された建物は
年々、風化し続け、廃墟の風景が広がる。そこには
想像をこえる生活があったことに思い馳せてみる。
軍艦島を訪れて、朽ちてゆく建物の向こうに、かつて
そこにあった島の人々の生活に思いをはせる。そして
軍艦島ミュージアムでは、当時の風景や生活を体感し、
島が今に伝えるものを感じる貴重な体験ができた。