世界遺産のある街 北九州市
1863年、国禁を犯して、命を賭してロンドンへ渡った
長州ファイブと呼ばれる5人の青年(伊藤博文、井上馨
井上勝、山尾庸三、遠藤謹助)は新たな国をつくること
を目指した。明治維新を経て、日本は産業化を成し遂げ
世界の舞台の中で近代国家として認知されていった。
明治日本の産業革命遺産とは、19世紀半ばから20世紀
初頭にかけて重工業(製鉄・製鋼、造船、石炭)分野
において急速に産業化した遺産群。23の構成資産全体
で2015年に世界遺産登録がされている。構成資産は、
釜石、韮山、萩、佐賀、長崎、鹿児島、三池、そして
八幡に点在している。九州に多く残る明治日本の産業
革命遺産を、九州に住んでいるうちに巡っていこう。
大牟田での三池炭鉱を巡る旅。ここは20番での登録
官営八幡製鐵所は旧本事務所、修繕工場、旧鍛冶工場の
3つの建物が22番の構成資産として登録されている。
東田第一高炉は1901年に操業を開始し、当時の高さ
としては30m、公称能力160トン。現在の姿は1962年
に整備された第10次改修高炉であり、高さ70m、公称
能力900トンの日本初の高圧高炉として建設された。
1962年8月の火入れから1972年1月まで操業し、今の
超高圧高炉時代の先鞭をつけた高炉であったという。
またいつもの夢・クルーズにお世話になろう
ここは東田ミュージアムパークと呼ばれるエリア
旧本事務所 眺望スペースの案内動画も
官営八幡製鐵所の歴史がここにある
明治日本の産業革命遺産の内容もよくわかる
明治維新後、産業革命の進展により銑鋼(せんこう)
一貫製鉄所の設立の機運が高まり、1896年八幡村に
に製鉄所の建設が決定された。水源にも恵まれ、日本
で最大の石炭産出量を持つ筑豊炭田に隣接し、地元
の熱心な誘致活動もあり決定したという。約4年で
建設された官営八幡製鐵所は、1901年に操業を開始。
当初には操業中止などがありつつも、1910年に国内の
鋼材生産量の90%以上を占めるまでになったという。
産業革命において、製鉄・製鋼、造船、石炭産業は
大きく結びついていた。九州には、それらの記憶が
残っていて、時代の息遣いを感じることができる。
記憶をノックするにおい。というのは大分むぎ焼酎
のCMでの言葉。このCMにひかれ、その記憶の結晶
へと足を運んだ。そして今回、八幡製鐵所への記憶
にふれる旅。そこには100年を超える歳月の中に、
さまざまな人たちの思いが流れている。さあ、また
記憶の結晶を求めて、九州での旅を続けていこう。
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