その寺院は様々な歴史を越えて
泉涌寺を後にして、京都の歩きの旅では北へと向かい
次に訪れたのは智積院は、全国に3000あまりの末寺を
有する真言宗智山派総本山。智を積むと書く智積院は
学問寺ともよばれ多くの学僧を排出された。その広い
境内に20もの伽藍が並ぶ智積院は400年前、玄宥僧正
によって、様々な歴史を越えてこの地に再興された。
智積院の正式名称は五百佛山根来寺智積院。根来寺と
は和歌山にある寺院で、五百仏山(いおぶやま)は
その周囲に広がっている。1585年、豊臣秀吉による
根来攻めで灰に帰した根来寺智積院。高野山に逃れた
玄宥僧正により関ケ原の戦いの後、京都に再建された。
設計を手掛けたのは東洋設計事務所
いつかお寺での宿泊体験もしてみたい
1日1組の名勝庭園のライトアップのプランも
境内の配置をこちらから。VRで名勝庭園も
時間をかけて訪れよう。智積院にある国宝にも会いに
智積院の歴史にふれながら
境内の建物も動画で楽しんで
豊臣秀吉によって、困難な道を選ばざれる得なかった
智積院。時代を超えて、東山の地に再建された場所は、
かつて豊臣秀吉が建てた祥雲禅寺のあった場所。それ
は三歳でこの世を去った秀吉の子、鶴松の菩提寺で、
その弔いのために描かれた、長谷川等伯とその息子の
長谷川久蔵が手掛けた国宝の楓図、桜図が今も残る。
この地を与えられた智積院は、それを大切に守り抜き、
今は宝物館に展示されている。様々な歴史や因縁を
越えて智積院は今もここに建ち続ける。とても京都
の街歩きにて立ち寄る程度では、その魅力の一旦に
ふれるだけに。名勝庭園、特別公開での堂本印象の
壁画、あわよくば宿坊に、またいつかの旅で訪れよう。