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姫路の街を見渡す大天守へ

姫路の街を歩きようやくたどりついた姫路城

三の丸から二の丸へ、いくつかの門をくぐり大天守へ。
その城は1333年に赤松則村により、姫山に築かれた
砦に始まり、1580年に秀吉によって三層の天守閣が
建てられた。その後に池田氏、本多氏により五層七階
の現在の連立天守へと増築がなされて、1617年に今
の姿へ。そして400年以上の時を越えて現在へと至る。

曲がりくねった通路を振り返りつつ進み
大天主の最下階へ。ここから最上階の6階へ
見取り図で見どころなども確認しながら
天井高の確保された空間を進む
格子ごしに外部の様子も。鬼瓦には五三桐
400年以上前の巨大な木造7階建で、高さは31.5m
見どころにあった六葉の鍵隠し。葉と葉の隙間はハート型に
層ごとの階高は高く大きな空間には
大きな梁が連続して建物を支える
2階は1階と同様の平面で
建物から張り出した部分は破風の間
2階には武具庫があり、廊下となる部分にも
武具掛けがあり槍や鉄砲が並ぶ
武具掛けを横目に次は3階へ
3階で平面も縮まり雰囲気も変わる
部屋の中央には大柱
3階には正面と右奥の小さな扉の武者隠しも
次は4階。四隅には比翼入母屋破風と
側面には窓位置が高いため石打棚が設けられている
上部の高窓は射撃をした際の硝煙の煙出しのため
ようやく5階へ。姫路城は7階建てだが外観上は5層に。
5階は4階の屋根裏部分でもあり、2階で1層の構成に
格子窓から外の風景を見下ろして
西面の眺め。入母屋破風の上には鯱も
そして大天守六階。それは姫路の街を見守るように
南面には三の丸広場が広がり
鯱の先には大手前通り

姫路の街歩きは大手前通りも通って

瓦の端部には五七桐の鬼瓦
東面を見下ろせば軒唐破風の先に姫路市立美術館

姫路の旅では美術館や

北側には兵庫県立歴史博物館

その建物と姫路城との関係も楽しんだ

西側には西の丸。右手の男山のふもとには姫路文学館
そろそろ下へ。あせらずゆっくりと
小天守の屋根の瓦や懸魚の意匠も楽しんで
軒丸瓦は五三桐と揚羽蝶の紋が交互にも
大天守を取り巻く三つの小天守
連結された小天守を眺めつつ
場内の展示をたどる。軸組構造模型は昭和の大修理の際に
解体工事の検討用に制作されたものだという
昭和の大修理は1956年から8年の歳月を要した工事  


すべての建物を一度解体し、部材を修復し、
再度組み立て直すというもので、築城以来 
に350年ぶりのことだいう驚きの内容に。

展示には七三桐紋鬼瓦と
揚羽蝶の鬼瓦。池田時代には桐と蝶の紋が使われたという
そして平成の大修理は瓦の葺き直しや壁の補修を中心として
姫路城を中心とする城下町の様子を模型でも
青い線が外堀跡で、JR姫路駅はその外に
展示スペースを後にして、小天守の連なりを見上げつつ
姫路城の連立天守を後にして
姫路城は石垣を含める高さ45.6mにもなる
大天守の左には西小天守。石垣の巨大な石も目に留まる
あらためて壮大な外観を見上げてみる
そろそろ天守を後に備前門の方へ
見上げれば石落とし。いろんな角度で大天守を楽しんで
備前門をくぐるとその横にはさらに巨大な石
これは石棺といい、古墳の石が転用されたもの
右手の石垣にも長方形の整形な石。こちらも転用石だろうか
途中には鯱の展示。昭和時代のものは迫力も増して
りの門をくぐると次は、ぬの門。現存の二重
櫓門としては珍しく貴重な構造であるという
せり立つ擁壁の迫力を楽しみつつ
ぬの門の石垣は他にはない色合いに
上下で石の形状が異なる石垣も。いの門を抜ければ
正面に菱の門。二の丸の入口まで戻ってきた
通路沿いには明治初期に描かれた鳥瞰図
振り返れば天守閣。順路の表示にしたがって
せっかくなので西の丸も訪れて
城内の西側から見上げる連立天守の複雑な構成
塀を見上げれば○□△と並ぶ狭間に

以前の記事も思い出す 

西の丸からの風景も楽しみ、菱の門をくぐり二の丸を後にして
そばに建つ姫路城迎賓館の開口部のデザインも気になる所
三の丸広場を進み大天主を振り返る
姫路城三の丸の案内文に当時の様子を思い浮かべつつ
大手門へ。こちらが正門で大手前通りへとつながって
門をくぐり桜門橋を渡りつつ、もう一度遠くに大天守を望み
堀に映る石垣の風景を後にして

今回の旅のクライマックスに姫路城を

空撮の動画で姫路城の形も楽しんで

姫路城の構造についてもよく分かる動画も


姫路城のまわりに広がる街並み。それは江戸時代に、
城を中心に形作られた城下町に重なるという。姫路城
の存在が姫路の街そのものであり、400年の時を越え、
その城は今も輝きを放ち、街を見守っている。姫路駅を
降り、遠く望んだ姫路城。その内部には驚くべき空間が
広がっていた。姫路城を後に、姫路の旅も終わりへと。

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