「後れを取らずに進む」ってどういうこと?
教育って「前に進む」イメージがないだろうか。
特に学校教育では、誰もが保幼小中高大と休むことなく勉強し、階段を上がるのように1年ごとに上級学年へ、上級学校へと進むことが当たり前だと考えている。
それは、たぶん時間が先へと流れているから。
時間が経過した分だけ自分の経験が増え、学校で学ぶ以上、賢くなったり、できることが増えたり……そうなることが当然だと思っている。
そうかなぁ……
立ち止まって疑ってみる。
進むというと「前」や「先」という単語と一緒になって語られることが多いが、「後」や「横」、「斜」、「上」、「下」など、いろいろな進み方がある。
まさに360度かつ3次元、進む方向は無限にある。
物事を探究していくと、歴史だって遡るし、立ち止まって考えたり、検証した理論を壊してゼロベースで組み立て直すことだって普通にある。
新たに、自分にできないことがあることにも気づく。
見た目でいえば、決して「前に進んでいる」ばかりではない。でも、確実に「学び」は積み上がり、深まっている。
それって、まさに「人生」そのもの。
時間の経過とともに、何もかもが「前に進む」ことが「より善く(良く)なる」ことではない。「深く考えられるようになる」ことが大事なのだ。
学校教育が社会に出るための準備だというイメージで語られがちな中、その前提となっている「後れを取らずに進むこと」ってどういうことなのか。
いまいちど、生きることの意味とともに考え直すことが必要なんじゃないだろうか。