僕、世界を変えたるねん!
いまの日本がどんな状態か、しっかり知らんとあかん。9年前、滋賀学園の校長になったとき、真っ先に考えたことがこれでした。
例えば人口減少。これから劇的に人口が減っていきます。大きく減少する世代は子供世代、次いでお金を生み出してくれる世代。2030年には3人に1人が65歳以上になります。
そんな中で、これまでと同じ教育をやっていていいんですか、と。
何かをしましょうと言うと、条件反射のように「ちょっと無理です、それはできまへん」って言う人がいます。
以前「あかん3D」というのを聞いたことがあります。否定形の3つのD。「駄目」「だって」「どうせ」・・・これがあかん3Dだそうです。
そういった言葉をいつも口にしている人は、旧世紀の人間です。ますはその意識を変えないと駄目です。
北海道の植松電機といえば、植松努さん。「どうせ無理」って言わないようにしようとおっしゃっています。
学校は子供たちを育てる場にもかかわらず、一番に「~しちゃいけません」って。とにかく先生って、否定したがるんですね。事なかれということなのか、自分の保身なのかわかりませんが、何かあればすぐに制止しようとします。
これって、逆じゃないでしょうか。少なくとも学校では「しちゃいけない」じゃなくて、「どんどんやりなはれ」と言うべきでしょ。
今の学校の前提になっているのは、右肩上がりだった高度経済成長期の姿です。それが学校の一番いい形だとされ、ここまでデジタル化が進んだいまでも続いています。でも、その時代は、今もう完全に終わっています。
一定水準のいいものをつくれば評価され、頑張れる時代はもう終わりました。画一的な、均一なものをつくったところで勝負になりません。
取り組むべきものは正解のない問いであって、それを学校でいかに育てるかを考えていかないといけません。「教科書の中身を一生懸命覚えなさい」「これテストに出るからやっときや。大学入試にも出るし」。そんな教え方でどんな力が育つか、よく考えたほうがいいと思います。
学校で真っ先に提供すべきは、正解とか、覚えなくちゃならないこととか、受験のノウハウではありません。子供たちが自ら課題に向かって学び続けるための「きっかけ」です。
我々、大人が考えなければならないことは、子供たちに「どういう力」を身に付けてほしいかということ。一部の超エリート、日本を引っ張っていくようなエリートもしかり、普通の一般的な仕事をするという立場の者しかり、すべての人に共通することは、正解のない、ロールモデルもいない中で、いろんな課題をまず「自分が解決しよう」と思うこと。
でも、それは自分ひとりではできないので、まわりの人と協働して解決する道筋をつくることが必要になる。そのためには、相手に自分の思いを伝えないといけないから、きちんと表現できる力を身につけることも必要になってきます。
保護者の前で「お父さん、お母さん。自分のお子さんが大人になったとき、どういう社会、どんな時代になっていると思いますか?」と聞くことがあります。
恐ろしいほど、漠然としたイメージしか出てきません。自分の子供が生きていく時代すら、親は見通せていないわけです。そんな中に自分の子どもを放り出して大丈夫でしょうか。
いい大学に入れたらそれでいいですか、いい会社に入れたらそれでいいですか。大学を出て企業に入った人の離職率、3年でどれだけでしたっけ。コロナ禍で多少持ち直したとは言え、2020年度は31.2%です。
もう少し、子供たちが大人になった時にどういう時代になっているかを考えた方がいいです。自分が育った時と同じように、10年後も20年後もあまり変わりません・・・なんて、とても言えません。
子供たちに「どんな大人がかっこいいと思う?」「どんな大人だったらなりたい?」と聞くと、いろんな意見が出てきます。それを集約すると、この4つにまとめられます。
自分の意見をしっかり言える大人、自分の趣味や夢を持ち続けられる大人、自分で決めたことをちゃんと実行できる大人、自分でルールを決められる大人、です。
裏を返せば、子供たちが大人を見て「これができてないよね」と思っている4つなんですね。「この人はダサいよね、ロールモデルでかっこいい大人だったらこういう人かな。自分もこうなりたいな・・・」。子供たちはちゃんと見ています。だから、率先して大人はこれをやるべきだと思います。
「自分の意見をしっかり言える」、どんな意見でもいいんです。「自分の趣味を持ち続けられる」、どんな趣味でもいいんです。「自分の決めたこと」、なにを決めたっていいんです。
「自分でルールを決める」、どんなルールでもいいんです。
一番のポイントは、「決める」「実行する」「持ち続ける」「言える」。また、これらが全部、動詞だということにも注目してください。
「やる」ということが大前提であって、その中身は問うていません。我々大人はまず、「やる」よりも「何をする」か、そっちに気持ちを移しがちですが、断然「やる」ことのほうが大事です。
何をするかなんて二の次。もしそれが失敗だったら修正すればいいだけの話。我々が持っている大人の常識の枠に子供を閉じ込めることだけは、絶対にやめるべきだと思います。
それに、先生は教える人ではないんです。子供から学ぶ人です。大人はどんどん子供から学ぶべきだと思うし、大人が学ぶ姿勢を持てば、一緒に成長できます。
62年間生きてきて、「教え込む」という使命感から出ている教員の呪縛じゃなく、子供たちと一緒になって「ああ生きてるって楽しいよね」と、素直に楽しめることがいかに大切かということを日々感じています。
ニューヨークの街角の片隅に「これまでの人生で、あなたが一番後悔していることはなんですか?」と書いた黒板を置いたときの動画があります。いろんな年代、いろんな人種の人がそれを見て、自分が一番後悔していることを書いていきます。
そこに出てくる言葉の中には「not」、これが必ずついていまする。not・・・何々。「何々がしたかったんだけど、できなかった」「チャンスがあったんだけど、つかまなかった」。だから後悔しているんです。
でもこれ、頭にある「not」を取るだけで、できるわけだし、捕まえられるわけです。
だから、自分が思ったことはとりあえずやってみること。どんな結果になっても大丈夫。失敗したらやり直せばいいだけですから。
日本の子供たちの多くがあまり思ってないことの1つが「I can change the world」。でも、貧困にあえぎ、紛争に巻き込まれた厳しい暮らしをしている子供たちほど、自分たちは「世界を変えられる」と思っています。
日本の子供たちは成長すればするほど、こういったことを忘れていきます。幼稚園児って、こういうことをよく言いますよね。「僕、世界を変えたるねん!」って。大人、言いますか? 世界変えたるねんって言ったら「おまえは馬鹿か」と返されるのがオチじゃないですか。
変えられへんと誰が思うんでしょう。
誰が決めたんでしょう。
誰が教えたんでしょう。
みんな素直になって、「とりあえずやってみる」を合い言葉にしませんか。