見出し画像

最後のネアンデルタール人は海を見て、∣江之浦測候所

「地球上で最後の一人になったネアンデルタール人がいたわけですよ」

今日は連休の中日で、首都高は渋滞が続いている。のろのろ進むスポーツカーのハンドルを握りながら、あなたは唐突に4万年も前の話を始める。

僕たちの祖先はホモ・サピエンスですが、同時代にはネアンデルタール人も生きていたわけです。結構近しい存在で、交配もあったらしいですけどね、結局ネアンデルタール人は滅んでしまうわけでしょう。

そうですね、と私は、子どもの頃に教科書で見た、人間の進化を描いた挿絵を思い出す。ちょっと二本足で立ち上がった格好の猿が、手に尖った槍みたいなのを持つ猿になって、そのうち腰の周りに毛皮を巻いた毛の薄い猿になって、ちょっとずつ猿顔の人間ぽくなってくやつ。

「だから絶滅する直前の、最後に残されたネアンデルタール人はどんな光景を見たんだろうってずっと考えていた時期があって。それから随分後になって、ある写真を見た時に、ああこんな感じだったんだろうって思ったんです。それが、今から僕たちが見に行く作品です」

「最後のネアンデルタール人が感じたであろう孤独って、ちょっと私には重たすぎる想像です」

「そうですよねえ、せめて最後から二人目がいいな。最後の一人は寂しすぎる」

壮大でヘビーな話を軽快に語りながら、車は海沿いの道を走る。向かうは、神奈川県小田原の江之浦測候所。天気は晴れ、ところどころ薄曇り。

小田原文化財団 江之浦測候所は、現代美術作家の杉本博司が蜜柑畑の広がる小田原の地に作った施設で、美術品鑑賞ができるギャラリー棟や、庭園、茶室、石舞台などで構成されている。高台に作られているから、遥か広がる太平洋の海や、そこに至る山の斜面を見下ろすことができるようになっている。置かれた石ひとつ、敷かれた苔ひとむら取っても意識が行き届いている、少し浮世離れした空間。

最後のネアンデルタール人が見たであろう光景の写真は、ギャラリー棟に等間隔で並べられた「海景」シリーズだった。世界中の海を撮影した一連の写真で、どれも水平線が画角の中央から左右に伸びて、5:5の割合で空と海を切り分けている。色はなく、白と黒で表現されているからか、空と海の強さを突きつけられているようで思わずたじろぐ。

これを見た最後のネアンデルタール人は、と私は空想する。

「自殺したんじゃないでしょうか」

ふうん、とあなたは相槌を打つ。

「そうかもね。自殺の概念がその頃にあったか分からないけれど」

「いえ、きっと飛び込んだんですよ。この海に」

私は眼の前の写真を指差す。南太平洋の海が黒ぐろと横たわる、ひときわコントラストの強い作品。

「そして、どこか遠くでたまたま、ホモ・サピエンスがその光景を見かけるんです。そこで彼は考えるの。『あいつはどうも、自分から海に飛び込んだように見える。なぜそんなことをしたんだろう?』って。そして人類は哲学を始めるんです」

「いい解釈だね。最後のネアンデルタール人は、地球上で自ら死を選んだ最初の生き物になり、それをたまたま見かけたホモ・サピエンスが、地球上で最初の哲学者になる」

「その末裔が私たち」

へえ、いいね、とあなたは薄く笑う。

ギャラリー棟は細く横に伸びた建物で、突き当りからデッキに出て小田原の海を見下ろすことができる。鑑賞者は写真に表された『海景』を見たあと、その目で改めてリアルな「海景」を見るのだ。

「すごい、ここ。私たちは海景の世界を生きている」

「淡い空が春らしいねえ。桜が咲いたらお花見に行こうよ」

眼の前に広がる光景に心を奪われる。
夕暮れに向かって、春の風は冷たさを増していく。

ふと思いついて、あなたの方を振り向く。

「原始人も恋をしたと思いますか?」

寒さに少し身を縮こませたあなたが、そりゃあ、したんじゃないですか、と返す。その頃の恋の定義は分からないけれどね。

「その頃の恋の定義はですね、」

考え考え、私は口を開く。

「本当は、近くにいてすぐに会える人の方が、パートナーとしてふさわしいわけですよね、繁殖の点から見れば。でも、そこでなぜか遠く離れた人のことを考えてしまう。なかなか会えない人のことを思ってしまう。それが当時の恋ではないでしょうか」

「それはいいね。もっともらしい気がする」

少し黙って、あなたは楽しそうに唐突なことを言い始める。

「それでいうと、僕は先日散歩中に君のことを考えたよ。あれはなかなか良い時間だった」

にっこり笑って、こちらの顔を見つめてくる。

「先程の定義で言うと、僕は君に恋をしていることになるね?」

私は、斜面に咲いた、風に吹かれ揺れる菜の花の群生を熱心に見つめる。
空気の冷たさに、頬が熱く火照っていくのが分かる。

そして、重々しく、厳かに、非常に冷静に、何一つ動揺することなく、落ち着き払った口調で答える。

「先程の定義で言うならば、そういうことになります」

あなたが薄く笑った気配がした。

地球上で最後のネアンデルタール人は、自ら死を選んだ初めての生き物になり、それを見かけたホモ・サピエンスによって、人類は最初の哲学を始める。

その末裔の私たちは、死と生について考えたり、歴史に思いを馳せたり、壮大な自然に感動したり、そして、自分でもよく分からない感情に、何だかどうしようもなくやきもきしたり、するのだ。

<了>






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?