色付きコンタクトレンズから色恒常性と人生哲学への脱線
私は近眼であり乱視、最近は老眼にもなってしまった。
私が原始人であったらなら、もう狩りなどには参加できず、どんなことをしていたんだろうと思います。
ということで、私は今、近眼+老眼というコンタクトレンズを愛用していますが、これがなかなか良い。
完全に老眼ということを忘れ、若返った気持ちになってます。
コンタクトを初めて買ったのは、近眼が始まった高校生の頃。はじめの頃は、壊した無くしたなど、いろいろなトラブルに見舞われました。
最近のコンタクトレンズは、色つきになり、そのようなトラブルが無くなりました。
色付きコンタクトが出始めたのは、いつだったか詳しくは知りませんが、私が初めて手にしたのは確か2000年代前半だったと思います。
しかし、便利なモノが出てきたけど、初めての色付きコンタクトレンズを買うときものものすごーく悩みました。「ロダンの考える人」ぐらい深く悩みました。
それは、、、カラーマネジメントを飯の種としている人間が、常におのれの目に色フィルターをつけていて仕事になるのか??と強く思ったからです。
今から考えれば、不勉強ですね、カラーマネジメントを飯の種としている人間としては、、
答えは、色つきコンタクトを使用しても問題なしです。
それは、人間の視覚には色彩恒常という性質があるからです。
これは、照明光の条件が変わってもその照明光の色に引きずられることなく、同じ物体は安定して同じ色として知覚される現象のことです。
例えば、赤いリンゴは青い照明の下でも赤く感じられます。
ここでは照明条件と説明していますが、色彩フィルターかかっている場合も同様です。
コンタクトレンズが水色だとしましょう、そうすると脳は視覚に対し網膜が受ける光だけを視覚に伝えるのではなく、周囲の光から推測して水色のフィルターがかかっていることを察知し、視覚全体から水色の要素を差し引いた色を伝達します感じます。!!
よってコンタクトの影響はなしということで、色つきコンタクトを購入しました。
人間の視覚って、脳って、すごいですね、よく考えてい見ると、もしこの色彩恒常というものが無ければ、メーカーもそんな製品を売り出さないでしょうね。
またまた、話をそらします。
人の家を外から見る、照明の色って本当にさまざまだなと思いませんか?
私はそれを見て、その下で人それぞれ違った人生を歩んでるのかなと思うことがあります。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの名曲「Every day People」にこんなフレーズがあります。
ざっと訳すと、「いろいろなことがあるけど、ひとそれぞれ、違った価値観があるぜ」という意味です。
照明の色を人の人生に例えると、窓から見える色ごとに人生は違うかも知れません。お金持ちだったり、貧乏だったり、幸せだったり、不幸だったり、いろいろ、、
わたしははこう想像することがあります。
色彩恒常ではなく人生恒常というものがあって、わたしたちの人生はいろいろだが、それぞれの人には同じように感じているのかも知れないと。
もしかして、その「同じように感じている」部分=恒常性というのは、「自分らしく生きる」ことではないかと。
うーん、哲学的で、訳分からなて、自己満足的になってしまいました。もういっそのこと、原始人になったほうがいいかもしれません。
またまた、コンタクトレンズから、人生哲学まで話を脱線させてしましましたので、今日はここまで、お粗末様でした。