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祖父と、祖母と、叔父を亡くした話。あるいはALS(筋萎縮性側索硬化症)について。看取りという問題について

今さらここで書くことでもないけど、僕は、父方の祖父を、僕が中学生だった頃に ALS で亡くしている。当時ALSという言葉はまだ広く知られてなくて、「筋萎縮性側索硬化症」という病名を呪文のように記憶した覚えがある。30年くらい前の話だ。祖父はまだ60代で、父や叔父が僕の今の年齢くらいの頃の話。

祖父は発症してからまずよくつまづくようになって、それからすぐに言葉を失って、寝たきりになった。胃ろうというのかな? 最後のころは、喉を切開して流動食を食べていた。そうなる前は、父と自分とでかんぽの温泉などに連れて行って父と一緒に入浴を手伝ったりしていた記憶がある。

中学生の頃の記憶なのでもうかなり曖昧なのだけれど、意識ははっきりしているのに寝たきりで食事も出来ず意思疎通もはかれない状況は相当苦しそうに見えた。確か #人工呼吸器 はつけなかったんじゃないかな。発症して、半年ほどで帰らぬ人となった。通夜の晩は、父と叔父と交代して線香の番をした。

通夜の晩、どうしても寝つけないし、と寝ようとしない祖母を無理に寝かせようとした記憶がある。横になってるだけで良いからと、父が言って、寝かしつけた後、「そりゃあ眠れんもんだよ。」と僕にぼそっと語った父の言葉を覚えている。その祖母も7月に、一緒に祖父を看取った叔父も、4月に失ってしまった。

祖父はALSで若くして、叔父は胆管がんで祖父とほぼ同い年で亡くなり、あと数日で95歳というところまで長生きした祖母も、祖母のことをとても心配していたのに先に逝ってしまった、叔父に呼ばれるようにして亡くなった。

いや、叔父については、祖母の葬儀を終えるまで、実感がなかったというべきか。祖母の入院先に、通夜の晩や、初七日の席で、ともに献杯していてもおかしくない叔父の写真が祖母の写真の横に並んでいるのを見て、あの時僕はようやく、理解したんじゃないかと思う。思っている。

実弟に先立たれた父が、もう自分も幾人も見送ってきて、だから大概のことでは自分は気落ちしないだろうと思っていたのに、叔父を亡くしたことについては相当こたえたらしい。脇にぽっかり穴が空いたようだ、と漏らしていたと母から聞いた。直接父から聞いたんじゃないからか、余計に今、そのことを思う。

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