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熊野古道 小辺路を歩きました

高野山を訪れたました。友人の稲葉俊郎さんが出演したイベント『LIFE®︎いのち withスーパーキッズ・オーケストラ&いのちサミット』を観に行くため、そして熊野古道 小辺路を歩くためです。

イベントも素晴らしかったですし、出演されている皆さんとも食事させていただき、ありがたい機会でした。弘法大師の人生も、もっと詳しく知りたい。

そして翌日、みなさんとお別れして、一人熊野古道を歩き始めたのでした。

稲葉俊郎さんが撮ってくれた別れの瞬間

■熊野古道とは

熊野古道とは、熊野三山へと通じる参詣道の総称で、幾つものルートがあります。

新宮市観光協会ホームページより https://www.shinguu.jp/kumanokodo2

今回歩いたのは「小辺路」と呼ばれる、真言密教の総本山・高野山と熊野本宮大社という二大聖地を結ぶ75キロほどのルート。

十津川村観光協会ガイドマップより

熊野古道は世界遺産にもなっており、いつか歩きたいと思っていましたが、ようやく念願が叶いました。

私は高野山を出発して3泊4日のルートで歩きました(健脚の人であれば2泊3日で行けるそう。信じられない!)。

終わってみての感想は……「達成感半端ない」です。

勝手なイメージで、もっとハイキングぽいのかと思っていたら、「ガチ登山」でこんなにしんどい4日間は久しぶりでした。

■道中について

宿泊ポイントは大体決まっていて、小辺路を支える民宿にお世話になります。

私が泊まったのは下記の3宿。

1日目「民宿かわらび荘」
https://www.kumano-travel.com/jp/accommodations/minshuku-kawarabi-so

2日目「農家民宿 山本」
https://www.kumano-travel.com/ja/accommodations/minshuku-yamamoto

3日目「行者民宿 太陽の湯」
https://www.kumano-travel.com/ja/accommodations/gyoja-minshuku-taiyo-no-yu

どこも小辺路を代表するお宿で、温かく迎えていただきました。

1日 15~20キロくらいを7~8時間くらいかけて歩くのですが、10キロくらいの荷物を背負っているので、登りも下りも大変です。

特に「下りにおける"ひざ"への負担」は”登山あるある”ですが、これが一番の不安でした。

登山に慣れている方でも、途中で膝を痛めて、テーピングで固定して……、みたいな話はよく聞きます。

結果的には、最初からサポーターをつけ、常にストックを2本ついて歩いたので、なんとか回避できました。この点に関しては過信しないで本当に良かったと思います。

天候は基本良かったです。最終日の朝方に少し降ったくらいでした。1週間くらいまで、雨予報だったので、天気が回復してくれて嬉しかったです。

もともと雨が多い地域とのこと。石にコケも生えているので、雨が降ると滑りやすく危険です(実際最終日は滑って転びました)。

他のルートは分からないのですが、小辺路はひたすら林道の中を歩く感じで、景色を楽しみながらというよりは、同じような風景が続きます。

私のように一人だと、修行という感じで、黙々と歩くのですが、まさに自分と向き合うという時間でした。

■道中考えたこと

一人で歩いているので、自然と思考が巡ります。

今取り組んでいる作品やプロジェクト、もう少し長期的な目標や哲学的なテーマなど、勝手にあれこれ浮かんでは答えが出るような出ないような、そんな時間が続きます。

ただ私が登山を好きな理由はまさにここです。「歩行禅」とでもいうのでしょうか。黙々と歩いているとフロー(ゾーン)状態のようになる時があるのです。

これは登山だけではなく、色々なアクティビティで起こることだと思いますが、私はそういう時間が好きです。

登り坂で、心拍数が上がり過ぎている時は、そのような状態にはなれなくて、私の場合は心拍数が110前後が丁度良いです。

体力が有り余っていたり、周りに反応するものがあり過ぎてもダメな気がします。身体がオートメーション状態になっているとそのような状態になりやすい気がするのです。

今回やってみたのは、時々立ち止まって、スマホにメモを残すことでした。いちいちメモをとると、フロー状態が解けてしまうかもと思いましたが、やってみたら意外と大丈夫でした。

むしろ、同じようなことをグルグル考えてしまうのが、メモすることで思考を次に進ませることができた気がします。

ちなみにiPhone取り出さず、アップルウォッチで音声でテキスト入力できたら一番いいなと思いつつ、やり方がよく分からなかったので今後に向けて研究しなければと思っています。

■音楽について

普段から移動中など、音楽を聴いていることが多いのですが、道中、どういう時にどういう音楽を聴きたくなるかを色々試してみました。

結果、起承転結に近い形で下記4つに分かれました。

①1日のスタート時からしばらく → 音楽などいらない
歩き始めは、自然の音が心地よいので音楽を聴く気にはなりません。鳥の鳴き声や葉っぱを踏み締める音など、それだけで心地よいです。

②景色にも飽きてくるがまだ体力はある → クラシック
少し単調さを感じてきたらここで音楽を聞き出します。11月にHIMARIさんのコンサートに行くのでその予習という意味合いが大きいのですが、大自然の中でクラシックの壮大さがはまります。

③頂上手前、あるいは下りで体力が削られていく時 → サントラ系
私が普段聴いてるのは主にサウンドトラック音楽やそれに近いインストゥルメンタル音楽で、人間ドラマを感じさせるような音楽が好きです。
そういうマイプレイリストがあるので、私が物語を作るときに意識する「孤高に踏ん張る」感じの曲を聴いて、自分を奮い立たせます。

④その日の行程、ラストスパート時 → J-POP
小辺路は体力的にかなり厳しかったので、1日の最後はいつも限界ギリギリです。そんな時にどんな音楽がハマるか色々試したのですが、結論「J-POP」でした。しかもバラードというよりはアップテンポの。特に90年代後半に聴いていたようなJ-POPが一番元気が出ます。

以上なのですが、一番言いたかったのは「辛い時にはJ-POP」という自分でも意外な結論でした。

洋楽のかっこいい歌ものよりも、ベタなJ-POPが一番、踏ん張りを与えてくれました。もちろん、これは人によると思います。

ただ、心身ともにヘトヘトな時にはクラシックなど高尚な音楽は、身体が欲していなかったです。もっと”ジャンキー”なものが欲しくなるというか。

J-POP軽視発言に聞こえたらすいません。どちらかというとターゲットにしている感情や、合わせている周波数の違いな気がしました。

ちなみに、3日目に三浦峠を下りてところで自販機があって思わず買ったコーラが悪魔的に美味しかったです。

マジで脳が喜んだコーラ

「人は悪魔的なものに惹かれる」というのは、エンタメに関わる人間としてよく思うことです。必ずしも正しいもの、美しいものに惹かれるだけではないというのは重要なテーマな気がします。
コーラを悪者にしてすいません。大好きです。

■温泉について

下山後の温泉というのは格別なものです。何にも勝ると言っていい。これにはコーラも勝てないです。

なんでしょう、クタクタになったカラダで温泉に浸かった時の幸福感は。
身体的にも精神的にも、あらゆるものが回復していき、生に満ちていくのを感じます。

稲葉俊郎さんは、未来の医療として「湯治文化」を掲げています。

温泉が持つ可能性は、当たり前のようであり、見過ごされているのかもしれません。

今はサウナが流行していますが、サウナは身体にも負担がかかるというか体力を回復させるというよりは、あえて身体に負荷をかけてスッキリするという意味あいが強い気がします。

ですので下山後にサウナは少し負荷が高すぎて、じんわり身体を癒してくれる温泉は何よりのご褒美です。

1日歩いて、温泉に入り、美味しい食事を食べて、ぐっすり眠る。4日間、この原始的なサイクルを満喫しました。

■そしてゴールの熊野本宮大社へ

4日目は、いつもより早く朝6時過ぎにに宿を出発しました。
この日中に東京に戻るには16時過ぎには熊野本宮大社を出なければいけないからです。

もう一泊して、ゆっくり歩きたいとも思いましたが、体力を振り絞って歩き、なんとか13時30分頃に、熊野本宮大社へ着きました。

熊野本宮大社 裏鳥居

やはり、4日間かけて80キロ弱を歩いてきたゴールは、一層聖地感があります。言いようのない達成感でした。

達成感のあまりか、写真をちゃんと撮ってなくて、とりあえずオフィシャルWebのトップページの写真を下記に。

ぐるっと一周し、ありがたい気持ちで参拝させて頂きましたが、私が何より感動したのは「大斎原(おおゆのはら)」という旧社地でした。

神が舞い降りたという大斎原。かつては中洲にあり、明治に起こった大水害によって大部分が流失してしまったそうです。

現在の熊野本宮大社から500mほど離れた場所にありますが、日本一高い鳥居(高さ約34m、幅約42m)は圧巻です。

大斎原の大鳥居

そして中に入っていくと、かつて境内があった場所がひっそりと迎えてくれます。ただならぬ神聖さを感じました。

この場所の素晴らしさは、写真では伝わりづらいですが、私は「ああ、ここが本当のゴールだったんだ」という感覚を持ちました。

流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠

先人達の中には、生まれ変わりの地、大斎原を目指し熊野古道を歩き、大斎原を観た際には泣く人々が沢山おられたそうです。

しばし敷地内にたたずみ、物思いにふけました。尊い時間でした。

この場所は一度は訪れることをお薦めしたい場所です。下記ブログにとても美しく紹介されていますので、ぜひ見てください。

■最後に

熊野古道を歩いて何か変わったか?気づきなようなものが得られたのか?

そう言われると何も変わってないような、でも確実に得たものはあったような、言葉に詰まるところです。

ただ、4日間体力を振り絞って歩きながら、ぼんやりと感じていたことがあります。

それは「世界は”いのち”に満ち溢れている」ということでした。

道中、たくさんの生物に出会います。植物はもちろん、蛇やカエルや虫だけでなく鹿の親子も見ました(幸いなことに熊には出会いませんでした)。

例えば下記のような小さなキノコを何度も見るのですが、毒キノコと聞いたのもあり、最初はちょっと気持ち悪いと感じるものの、何度も何度も見かけると可愛らしく見えてきます。

シロオニタケという毒キノコ

ふと、宮崎駿さんは、こういう感覚で世界を捉え、キャラクターを生み出しているんだなと思ったりしました。

キノコだけでもたくさんの種類があります。それに群がる虫や動物も数えきれないほどいるでしょう。様々な植物や微生物を含めれば、無数と言えます。

その全てが影響しあい、いまのバランスが生まれている。それに寄り添うように人間も生きることができている。そんな実感を強く持ちました。

だからこの地球を守らなければいけない、とかそこまでは言うつもりはありません。

ただ、自然に対する畏敬の念のようなものが、結論となった気がします。

道中であった全ての人、モノ、"いのち"に深く感謝です。

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