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『山のメディスン』(稲葉俊郎 著)読了
10月中旬に40日の駆け足世界一周旅行から戻ってきて、私はなぜか登山に行きたくなった。先週には人生初のソロ登山にも挑戦するなど、登山熱が高まっている私にとって、この本が出たのは絶好のタイミングとしか言いようがなく、一気に読んだ。
『山のメディスン―弱さをゆるし、生きる力をつむぐ― 』 稲葉俊郎著
https://www.amazon.co.jp/dp/4897754720
思い起こせば、最初の登山は稲葉さんに連れて行ってもらったのだった。あれはコロナ禍の前、稲葉さんがまだ東京にいる頃、上高地の涸沢診療所に行くのについて行った。靴やザックなど最低限の道具も揃え、初めて行った登山の充実感は今でも忘れられない。
それから数年たち、久しく遠出もしていなかったのもあり、私は久々海外に旅行に行った。旅行中、色々な体験をしたが、もっとも心地良い瞬間は朝日や夕日を見ることだった。
特に1時間くらいのハイキングをして、小高い丘から見る朝日や夕陽に佇む時間はなにものにも変え難い良さがあった。太陽という存在に感じる「ありがたさ」と「尊さ」は旅行の間、ずっと私を捉えていた。この世にあるものを全て並べて「ありがたいランキング」を作ったとしたら、その1位は「太陽」ではないかと思ったほどだ。
そして単に太陽を見るだけでなく、そのために丘や山を登るという行為が必要なものであると私には思えた。体力を使ってたどり着いたご褒美だから気持ちいいというのもあるかもしれないが、何かそれ以上のものがあると感じていた。
帰国し、あの心地よさをまた味わいたいと思った時に、順当に考えられる手段が登山だった。帰国してから二度しか山に登っていないが、冬に突入し登山のハードルが上がってしまっていることを残念に思いながら、この本を読んでこの登山熱はますます上がることを確信した。
というか、この本には私が求めていることが、これでもかというくらいに書かれていた。
特に、98~100ページに書かれている「太陽が昇り、沈む意味」という3ページは、私が旅行を通じ漠然と感じてきたこと、その本質はなんだろうと考えて続けてきたことのの200%が書かれている(つまり、自分の思考を遥かに超えて奥深く書かれているということだ)。
前後の「いのちの水」という3ページ、「歩く瞑想」という3ページを含めて、このたった9ページには、宇宙の本質、世界の本質、いのちの本質というべきものが詰まっていると思う。読んでいて魂が震えるのを感じた。ここには稲葉俊郎が人生で感じ、学び、考えてきたことの結論とも言える人生観、世界観、哲学が書かれている。そして今の私にはこれ以上なく刺さるものだった。
以下、特に響いた文章を引用する。
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・自分は水がいのちそのものだと感じるために、そして、水をおいしく飲み、いのちを歓喜させるために登山をしているのではないか、と思うようになりました。
頭が理屈で登山を選んでいるのではなく、身体や心が、むしろいのちそのものが、わたしを登山へと導いていると感じました。
・自然界の人工的な灯りがない空間の中で、黄昏時にふと空を見上げると、空が真っ赤に照らされていて驚くことがあります。夕陽は、空の色(水と光が関係する)との関係性の中で複雑な赤色を空間に放ちながら、ほんの数分だけ圧倒的な自然界の美を開示するのです。人工物が存在しない自然界で見る夕陽は圧倒的なものです。世界中の宗教の中に太陽神が必ず存在するのも、こうした太陽の神秘的な体験そのものに由来しているのだろうと思います。
・太陽の壮大な営みを感じることができる日の出や日没の風景は登山の初めと終わりであることが多く、身体も頭も空っぽとなっている時間です。この時の空っぽの全身に入り込んでくる太陽の体験はとくに印象に残っています。
・山という誰にでも開かれた公平な場は、登山をしながらパーソナルな領域で思索を深めるのに絶好の場だったと思います。それは何かを考え出す、というよりも、獲得した空白に新しい何かが生まれてくるのを待つような時間でもありました。わたしにとって登山とは単なる身体的行為だけに留まるものではなく、内的世界の思索を深めながらも、全く予想もしなかった新しい考えを内面の空白に出現させる創造の場でもあったのです。
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この本は、単に山の素晴らしさを書いた本ではなく、山というモチーフをベースに、医療や芸術、社会のあり方までに言及された唯一無二の本である。
これまでの稲葉俊郎の本に比べて、幼少時や学生時代のことなどが詳細に書かれており、いつもより等身大な著者を感じられ、それも素晴らしかった。
稲葉さんに受ける影響は計り知れないが、尋常ではない探究心や、豊富な知識量、類まれな考察力はもちろん、常に問い続ける「姿勢」に私は感動を覚える。
社会にある矛盾に向き合い、しかし安直に否定するのではなく、粘り強く考え続け、新たな視座を獲得し、また実際に行動し、新たな社会を作り続けている。
稲葉俊郎は、いつなんどきも、水面下に顔を沈め、じっと息を止め考え続けている修行僧のようでもあり、またある瞬間には、広大な景色を眺めながら、宇宙規模で世界のあり方を想像し続けている仙人のようでもある。
毎週のように山を登り続けた彼の学生時代に思いを馳せる。いくつもの山の頂(いただき)を目指し、黙々と歩く彼の道程を思い、私も自分の山を登ろうと思うのだった。