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連載:メタル史 1981年④Ozzy Osbourne / Diary of a Madman

ソロデビューが順調に進んだOzzy Osbourne。前作「Blizzard Of Ozz」はUK7位、US21位と古巣Black SabbathHeaven And Hell(UK9位、US28位
)より良い成績を収め、ソロアーティストとしての名声を高めます。どうしたって元いたバンドと比べられてしまいますからね。前のバンドに勝るとも劣らない成功を収めたことでマネジメントもより力を入れるようになり、本作レコーディング時にはシャロン・アーデン(のちのシャロン・オズボーン)がマネージャーに就くことになります。その時点でBlack SabbathOzzy Osbourne両方のマネジメント(他にも売れっ子多数)を手掛けていた父親のドン・アーデンは手が回らなくなり、シャロンがオジーの正式なマネージャーに。

ここでシャロンとベーシストのボブ・デイズリー、ドラマーのリー・カースレイクとの関係が悪化します。デイズリーとカースレイクはオジーよりだいぶ年上(8つ上)であり、シャロンはオジーよりさらに4つ下なので、デイズリーとカースレイクからすると言い方は悪いですが一回り(12歳)下の小娘がマネージャーに就いたということ。いくら元のマネージャーの娘とはいえ頼りないし、ある意味舐めていたとも言えるでしょう。オジーとシャロンがいつから付き合いだしたかは不明ですが(この時点では結婚していない)、「Ozzyの恋人がバンドに口を出してきた」というイメージもあったかもしれない。1981年時点でシャロンは29歳。マネージャーとしては独り立ちしたばかりであり、様々なバンド、レーベルと契約を交わしてきた経験豊富な40代のベテランミュージシャンを相手するのは大変だったと思われます(ちなみにランディローズだけはシャロンより年下)。

1982年、結婚時のシャロンとオジー
出典

なお、オジーとシャロンが付き合ったことでドン・アーデンとシャロンの間の関係も悪化します。オジーとシャロンの子供たちにもその後長い間ドンは会うことはありませんでした(かなり後、2000年代になってから和解し、ドンはリアリティ番組「オズボーンズ」にも出演)。だから、ドン・アーデンの後ろ盾もあまりない状態で、シャロンはオジーのマネジメントを行うことになった(とはいえ、本作もドン・アーデン所有のジェットレコードからリリースはしているので、冷え切っただけで断絶まではしていなかったようですが)。

このようにシャロンがまだ駆け出し且つ後ろ盾も失ったタイミングで、前作で予想外に成功したものだから利益配分のことやそもそも「Blizzard Of Ozzというバンドなのか、Ozzy Osbourneのバックバンドなのか」という火種が燻っていた。マネージャーのシャロンとしては「Ozzy Osbourneとバックバンド」を徹底したかったようです。

結果として、本作の録音までは前作と同じラインナップで制作されますが、録音後にデイズリーとカースレイクは離脱。新たにトミー・アルドリッチ(Gt)、ルディ・サーゾ(Dr)が加入します。シャロンとデイズリー、カースレイクの確執は深く、この後アルバムのクレジットや著作権について裁判となり、デイズリー&カースレイク側が勝訴。その意趣返しか2002年再発盤ではベースとドラムトラックが当時のオジーオズボーンメンバーによって再録音されることに。これはBlizzard of Ozzもそうでしたね。ただ、かなり不評だったようで現在リリース(および配信)されているバージョンではオリジナルのデイズリー&カースレイクバージョンに差し戻されています。

そんな経緯でラインナップが崩壊。新ラインナップはオジー以外アメリカ人のバンドとなります。そのラインナップでアルバムリリース後のツアー中、1982年3月19日に移動中の飛行機事故でランディ・ローズが帰らぬ人となってしまいます。そこでオジーは一時的に深く落ち込み、ツアーも2週間中止。ローズの代わりのギタリストはさまざまに検討され(ゲイリームーアやマイケルシェンカーも名前が挙がった)、一時的にバーニートーメ(元Gillan)が代役を務め、Night Rangerのブラッドギルスが参加。そしてジェイク・E・リーが参加、と目まぐるしく変化していくことになります。

ランディの死後、ランディ在籍時のライブを集めてリリースされた「Tribute」のジャケット

なお、上記でシャロンとデイズリー&カースレイクが揉めた、と書きましたが、デイズリーはその後復帰。オリジナルアルバムとしての次作Bark At The Moonにも作曲、ベーシストとして関わりますし、その後も80年代を通じて関わることになります。思い切りシャロンの悪口を書いた曲を作ったり(しかもそれがオジーの歌でレコーディングされている)、デイズリーとシャロンは不思議な関係。カースレイクはどちらかと言えば巻き添えを食った感じもします。シャロンとの関係が悪くとも、デイズリーとオジーは音楽的な相性が良かったのでしょう。オジーはけっこうデイズリーをかばうような発言もしています。妻に嫌われている男友達、みたいな感じなのか。

オジーとデイズリー
出典

本作はローズ在籍時最後のアルバム。プロデューサーはマックス・ノーマン、オジー・オズボーン、ランディ・ローズ、ボブ・デイズリー。前作はバンドメンバーでしたが、本作ではカースレイク(Dr)がプロデュースからは抜け、代わりに外部からマックス・ノーマンが参加しています。マックス・ノーマンはBlizzard of Ozzにもエンジニアとして参加していました。ノーマンはこの後プロデューサーとして活躍していくようになり、後にLoudnessの米国進出作のプロデューサーや90年代のMegadethなどを手掛けていくことになります。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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