連載:メタル史 1980年④Michael Schenker Group / Michael Schenker Group
ギタリストのマイケルシェンカーを中心としたMSG(Michael Schenker Group)のデビュー作。マイケルシェンカーはScorpionsのギタリストであるルドルフシェンカーの実弟であり、Scorpionsの創設メンバーでもあります。7歳上の兄のバンドに参加していたということもありかなり早熟なギタリストで、ScorpionsのデビューアルバムLonsome Crow(1972)でプレイしたときは弱冠16歳。そしてUKのバンドUFOの前座をScorpionsが務めた時に誘われ、UFOのリードギタリストとして参加(ちなみに彼の後にScorpionsのリードギタリストになったのがウリジョンロート)、名曲「Doctor,Doctor」を含むPhoenomenon(1974)を皮切りに5枚の70年代ハードロック史に残る名作を残しましたが精神状態が悪化。ドイツ人のマイケルシェンカーはまだ10代のうちにいきなりUKでの生活、活動を続ける中でかなりのストレスがかかったとされています。英語も当時は不自由であったし、考えてみればドイツとイギリスはこの頃の30年前には戦争状態だったわけで、いろいろと居心地の悪い思いもしたのかもしれません。
ツアー中に不参加になるなどの騒ぎも起こし、意見の対立からUFOを脱退(1990年代には和解して再参加したりしていますが)、ドイツに帰国してScorpionsに戻りLovedrive(1979)に参加しますが再び脱退。UKに活動の場を移し、MSGを結成します。
MSG結成~デビューアルバムリリース当時のマイケルシェンカーは24-25歳。若くしてデビューしたためすでに多くの作品を生み出していましたがまだまだ若いミュージシャンです。兄と共に始めたバンドを出てUKで揉まれ、帰国したものの再び一人立ち、ようやく自分の名前で勝負できるというタイミング。希望とプレッシャーを感じる作品だったことでしょう。
なお、この当時マイケルシェンカーは若きギターヒーローとして名声を確立しており、すでに様々なギタリストに影響を与える存在でした。ランディローズを喪ったオジーオズボーンはローズが影響を受けたと語っていたシェンカーにも誘いをかけますが、当時ソロキャリアを追及していたシェンカーは「自家用ジェット機が欲しい」など無茶な要求をして話を断ります。ランディローズが1956年生まれ、マイケルシェンカーが1955年生まれなので年齢的にもそれほど変わらなかったんですよね。他にもMSGを組む前に(ジョーペリーが抜けたタイミングだった)エアロスミスのオーディションも受けたそう。独立か転職か悩んでいた若きシェンカーの姿があります。
MSGの初期メンバーは後のMr.BIGで著名になるビリーシーン(Ba)と元モントローズのデニーカーマッシ(Dr)、二人ともアメリカ人ミュージシャンです。エアロスミスのオーディションの参加を見ても、最初はアメリカで活動しようと思っていたのかもしれません。ただ、結局はイギリス人ボーカリストのゲイリーバーデンが加入し、二人でMSGのアルバムを制作スタート。他もイギリス人のメンバー(このアルバムはGtとVo以外はセッションミュージシャンとして参加)を迎え、UKで制作されます。結果として生み出された本作はUKチャートで8位を獲得、ギタリストとしてだけでなくバンドリーダーとしてのキャリアを歩き始めます。
ちなみにこのアルバムの邦題は「神(帰ってきたフライングアロウ)」。ギタリストを「神」と呼ぶ風潮がはじまったのは僕の知る限り60年代のロンドンで「Clapton is GOD(エリッククラプトンは神)」という落書きが壁にされたことから始まっているようですが、日本で「神と言われて連想するギタリストは?」と聞くとマイケルシェンカーが一位を取りそうな気がします。それぐらいインパクトがある邦題でした。
本作のプロデューサーはロジャーグローヴァー、Deep Purpleのベーシストですがプロデューサーとしてもかなり活躍しています。その人脈か元Rainbowのドンヘイリーもキーボードで参加。ドラマーはTotoでも知られる名セッションプレイヤーのサイモンフィリップス。ベースはこちらも名セッションプレイヤーのモーフォスター。UKロック界の重鎮たちがバックで支えています。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
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