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連載:メタル史 1985年⑧Helloween / Walls of Jericho 情報編

日本における「ジャーマンメタル」の人気を決定づけ、「ジャーマンパワーメタル」という一つのサブジャンルをビッグインジャパンにした立役者とも言えるドイツのハロウィン。そのデビューアルバムです。

デビューEP「Helloween」も1985年に発表され、その後にリリースされたのが本作。なので、リリースした作品としては2作品目になりますが、1987年にCDとして再発される際、このアルバムに最初の「Helloween EP(1985)」と1986年に出たシングル盤「Judas」のタイトルトラックが追加されています。現在ストリーミングなどで聞けるのは主にこちらのバージョン。

CDは14曲入りバージョンがディフォルトだった

僕が個人的に最初に聞いたのもこの「Helloween/Walls of Jericho」の合同盤ですね。1‐5がHelloween収録曲で6‐13("Walls of Jericho / Ride the Sky"~"How Many Tears")が本作収録曲。14が1986年のJudas。比べるとやはりデビューEPの方が粗削り。当記事のレビュー編ではもともとのWalles of Jericho収録曲のみを扱います。

ハロウィンの結成は1984年。結成から1年でデビューにこぎつけるわけですが、実はそれ以前は違うバンド名で活動していました。初期メンバーはVo兼Gtのカイ・ハンセン、Baのマルクス・グロスコフ、Gtのミヒャエル・ヴァイカート、Drのインゴ・シュヴィッテンベルクの4人。このアルバムも同じラインナップで録音されています。

左からヴァイカート、シュヴィッテンベルク、ハンセン、グロスコフ
ヴァイカートがふざけている写真はややレア
出典

歴史をたどってみましょう。最初にハンセンとギタリストのピート・シールクが1978年に結成したのがGentry。ちなみにこのときハンセンは15歳、高校生バンドですね。最初はUriah HeepBlack Sabbathのカバーバンドをやっていたそうです。だんだんとオリジナル曲をやるようになっていく。そして2歳年下のシュヴィッテンベルクがGentryに参加。ちなみにシュヴィッテンベルクは参加時15歳です。そしてバンド名をSecond Hellに変更したころにベースのグラスコフが参加。その後いずれかのタイミングでIron Fistにバンド名を変化。ただ、シールクはミュージシャンよりレコーディングエンジニアとしての道を選び、デビュー前に脱退してしまいます。そして当時、他にPowerfoolというバンドをやっていた同じハンブルグ出身でハンセンと同い年のヴァイカートがハンセンに「うちのバンドに入らないか」と声をかけ、結果としてヴァイカートがIron Fistに加入するという逆スカウトに。そしてヴァイカートが入ったことで「Helloween」に改名します。時系列期にはGentry(1978、1980年にシュヴィッテンベルク参加)→Second Hell(1981、グラスコフ加入)→Iron Fist(ここでシールクが脱退し、ヴァイカートが加入してバンド名を変える。この頃Motörheadが「Iron Fist(1982)」というアルバムを出したので、関係があると思われたくなかったので改名したらしい)→Helloween(1984)かな。Iron Fistはシールク以外はもうHelloweenメンバーですね。探してみましたがHelloween以前の音源は残っていないようです。ただ、1stEP「Helloween」は5曲入りで、うち3曲がハンセンの単独曲、残り2曲がハンセンとヴァイカートの共作。もしかしたらこの辺りのハンセン単独曲はIron Fist時代からのレパートリーであったと推測できます。"Murderer"、"Warrior"、"Victim of Fate"ですね。Victime of Fateは完成度が高いのでなんとなく新しい曲のような気もしますが。「Murderer」とか「Warrior」は曲名のシンプルさからも、なんとなく昔(ハンセンにとってかなり若いころ)に作られた気がする。

なお、はっきりインタビューで「Iron Fist時代からの曲」とヴァイカートが述べているのが「Gorgar」ですね。『「Gorgar」は古いアイアン・フィストの曲で、もともとはライブ用にそのように(短い「Peter And The Wolf」のジグを含めて)書かれたのですが、アルバムにちょっとしたユーモアを加えたかったので、レコーディングのときにそのまま残しました。』とのこと(→出典)。

ソングライターで見ると、Walles of Jerichoだとハンセンとヴァイカートがほぼ半数づつ曲を提供しています。メインソングライターが2名になった状態。Helloween(1985)に比べると明らかに曲作りが進化しているんですよね。リリース間隔は半年ほどしか経っていないのですが。これはソングライターが2名になった効果が出ているのだと思います。ソングライターが増えるのは影響が大きい。1人から2人だと単純計算でアイデア量が倍増しますから。グラスコフとシュヴィッテンベルクに比べるとハンセンとヴァイカートは2歳年上だし(1985年の時点で22‐23歳と20‐21歳、この頃の2歳差は先輩感があると思います)、作曲面だけでなくほとんどの面で年上二人が引っ張るという両頭体制のバンドだったと思われます。

このメンバーで1984年にノイズレコードと契約を締結。Celtic Frostのアルバムをリリースした、もともとハードコアパンク系のレーベルの「メタル部門」として設立されたレーベルですね。最初にリリースしたのは実はEP「Helloween」ではなく、1984年にノイズからリリースされたコンピレーション「Death Metal」。昨日取り上げたPossessedの1984年に出たデモテープも「Death Metal」なので、くしくも1984年に単語としての「Death Metal」がUSとドイツから出ていますね。ただ、ノイズのコンピ「Death Metal」は音楽的にはスピードメタルや後にパワーメタルと呼ばれるようになるもの。デスメタル色は薄めです。参加バンドはHelloweenHellhammerRunning WildDark Avenger。Hellhammerはこの後改名してCeltic Frostになりますね。Running Wildはまだ海賊感がなく歌詞テーマが悪魔。Dark Avengerはこのアルバムしか音源を残していません。これがHelloweenのレコードデビュー作。

Death Metal(1984)ジャケット

このアルバムにHelloweenは「Oernst Of Life」と「Metal Invaders」を提供しています。前者はヴァイカート、後者はハンセンの曲。後に「Metal Invaders」は再録されてWalles of Jerichoに収録されます。Oarnst Of Lifeはこのアルバムにしか収録されていませんが、2006年ににHelloween/Walles of Jerichoのアルバムの2枚組エディションのボーナスディスクに収録されることになります。これがHelloweenの最初にリリースされた音源のうちの1曲。

ちなみに、Celtic Frostもリリースしていたノイズに所属していたわけですが1980年代後半、製造上のミスにより、ウォールズ・オブ・ジェリコのカセットコピーのサイド1にセルティック・フロストの「To Mega Therion」の音楽が誤って収録され、初めてハロウィンを聴く多くの人を困惑させたことがあったそう。レアですね。この時のバージョンがDiscogに上がっています笑(→こちら)。ちょっとこのバージョン欲しいかも。

Celtic Frostの項(→関連記事)でも述べましたが、ノイズレコードはもともとハードコア、パンクのレーベル。世界最初のデスメタルバンドとも呼ばれるPossessedがハードコアからの影響が色濃く見られたように、ノイズレコードから出てくるアーティストもかなりハードコア寄りの表現、激走感や荒々しいプロダクションが特徴的です。この辺りの流れはドイツから新しく生まれてきていたのかも。1986年当時(まだボーカルオーディション中でマイケル・キスク加入前)のヴァイカートのインタビューを読むと「AcceptScorpionsのように商業的な成功を求めるのではなく、もっとコアなメタルを奏でたいんだ」的なことを述べています。当時はレーベルメイトであるCeltic Frost以外にもGrave Diggerともツアーを回っていたそう。Celtic Frostはスイスのバンドですが主戦場はドイツだったのかな。HelloweenRunning WildGrave Digger辺りはこの後でジャーマンパワーメタルと呼ばれる独自の音楽性を確立していくバンド達ですね。

1984のHelloween
1985のRunning Wild
1984のGrave Digger

ちなみにみんなノイズレコード所属。この頃にはUSのスラッシュメタルの影響を受けたジャーマンスラッシュ(DestructionKreaterSodomなど)も出てきていますが、やはりジャーマンパワーメタルはどこか違う、もっとシンガロングでどこかドイツ歌謡的な勇壮な歌メロを持っています。ジャーマンメタルの新世代。

本作のプロデューサーはバンド自身とHarris Johns(ハリス・ジョンズ)。彼はベルリンに自分のスタジオMusiclab Studioを持ち、HelloweenCoronerTankardSodomVoivodKreatorExumerなど多くのバンドを手掛けたジャーマンメタル界のプロデューサーです。Grave Diggerのデビュー作「Heavy Metal Breakdown(1984)」にもサウンドエンジニアとして参加しています。

Sodomのディスクを抱えるハリス・ジョンズ

基本的にドイツのバンドを多く手掛けていますが、後に当連載でも取り上げるVoivodのアルバムも手掛けていますね。カナダのバンドなのに。なぜだろう、と思ったらこの時Voivodはノイズレコードと契約していたのか。ノイズレコードと関係が深いプロデューサーなのでしょう。他に手掛けているバンドも基本的にノイズ所属のアーティストが多いです。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。



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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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