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B’zと長渕剛(あるいはアーティストの印象と音楽の関係)

紅白に出たB’zが話題ですね。初紅白だったのか。以前もスペシャル枠で出たように錯覚していましたがサザンと混じっていたのかもしれません。Xでも話題がたくさん。

そんな中、「90年代はB’zはめちゃダサい扱いを受けていた」みたいなコメントがあって、一定数の「そうそう、分かる」的な返信(と、賛否両論)がついていて、ああそうなのかと。

僕はB’zが90年代売れ始めた頃、In The LifeからRunの頃ですね。鹿児島にいたのでB’zがダサいという感覚は全くなかった。友達の間でも流行っていたし、カッコいいバンドという印象でした。当時からハロウィンとか聴いていて、むしろビジュアル系の方が微妙な扱いだった。80年代ヘアメタルから90年代メタルへB!誌が移行していくにつれて、なんだかビジュアル系も時代遅れというか「なんかダサい」感があったのですよね。当時は自分の不思議な思い込みと周りに影響されていた。B’zはそことは別枠で、素直にカッコいいバンドでした。パクリ(というかオマージュ)だってむしろ元曲よりいいじゃん、的な。

MotleyのTime for ChangeよりAloneの方が大袈裟でいいじゃんとか、ZeppのTrampled Under FootよりBad Communicationの方がキレがいいじゃんとか、エアロのWhat It Takesより憂いのGypsyの方が歌詞がいいじゃんとか。

Run以降そういうのもなくなって独特なオルタナティブハードロック的な音に進化していきましたしね。昔からB’zはB’zでカッコ良かった。ドライブの度にブックオフ100円コーナーでIn The Lifeを回収していたので実家に5枚はあるはずです。マーヴィンゲイじゃなくてB’zのビッグサウンドでドライブしてたんですよ。

で、長渕剛です。僕にとって長渕剛は「ダサい」アーティストだった。Japanの頃はそんなことなかったんですが、色々麻薬とか不倫とかスキャンダルがあったじゃないですか。で、Captain of the Shipとかの説教路線。なんか聴きづらくなっていくタイミングで僕が個人的に関東に引っ越しまして。すると鹿児島人としてのアイデンティティも意識されるわけです。それまで当たり前だったものが、自分の属性になることで自覚する。関東の人から見たら鹿児島人であれば長渕剛好きだろうと。

確かに、長渕剛には親近感はあったんですよね。奄美に行ったらハブセンターに笑顔の写真が飾ってあったりするし。

奄美ハブセンターに飾られている長渕剛家御一行

でも、ちょうどスキャンダルとか桑田佳祐とのケンカとか説教ソングのリリースとかでちょっとヤバい人になったタイミングだった。親近感はあるけどちょっと近寄りたくない、遠い親戚のヤバいおじさんみたいなイメージになってしまったのです。しばらくはCDも買っていたけれど、いつの間にかシリアスに聴く歌手ではなくなっていった。

そんな長渕剛と再び出会ったのが2024年。彼がYouTubeを始めたんですね。

このチャンネルを観て「あれ? いい人(というかまともな大人)じゃん」「ギターめちゃくちゃ上手いな!」「遠藤賢司とか友部正人とかディランとか、そうか、フォーク史の中にきちんと位置付けられる人なんだな」と再発見したのです。そりゃ、冷静に考えてみればそうですよね。なんかロックバンドっぽいことをやってみたりもするけど本質は弾き語りの人だし、フォークの巨人。コードストロークの強弱コントロールやスリーフィンガーの滑らかさはトップレベル。曲が似て聞こえるのだって、そりゃディランだって同じです。ディランを本物と思うなら、長渕剛だって本物だなと。勝手にミュージシャン長渕剛を再発見したのが2024年の出来事。

で、ライブに行ってきました。2024年10月18日、有明アリーナ。ライブ前から会場前でとんぼを熱唱している集団がいたり、特攻服の人がいたり独特。

なぜ特攻服?
筋少ライブ以外で初めて観た

初長渕剛は良いライブでした。ロックバンド路線はちょっと聴き疲れる感もありましたが、弾き語りは素晴らしかった。何より、数十年間第一線で走り続けているミュージシャンの凄みとファンの熱量を感じました。フォークロックなのにアリーナロックと言う難しいバランスを取り続けているアーティスト。

アーティストイメージってあるじゃないですか。少し前の小山田圭吾のいじめ騒動もそうだし、なんか世の中で評価されない、「世の中」まで行かなくても自分の周りでは評価されない、ダサい、シャバい、そんな扱いのアーティスト。で、それに完全に影響されないって難しい。「何を言うか」も「誰が言うか」もやっぱり影響を受けます。なるべくフラットでいようと思っても自分でも気づかないうちにアーティストのイメージを持っていることも多い。特に日本で、世の中で話題になるアーティストはそうですね。僕もノルウェーの住人だったら今よりBurzumやMayhemを聴くのに抵抗を感じるかもしれないし、距離があるから音楽とアーティストイメージが切り離されている例はたくさんあると思います。

でも、ダサいと感じているアーティストにもいい曲はあるし、自分の心を動かすものはある。そんな当たり前のことを思いつつ、先入観なく音楽を聴くことの難しさを感じたりします。このブログだって、音楽への先入観を作るために書いているようなものだし。誰かのレビューや紹介を読んで聴いてみようかなと思うのも先入観ですから。まぁ、そんなものだと思って僕は音楽を聴いています。それを自覚することには価値があるんじゃないか、と思ったので自分のために文章にしてみました。

それでは良いミュージックライフを。

おまけ

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