連載:メタル史 1981年⑨Girlschool / Hit and Run
女性によるメタルバンドの先駆け、Girlschool。1978年に結成され、2024年現在も活動を続ける、世界で最長の活動期間を持つ女性バンドでもあります。1975年、南ロンドンで学生バンドとして結成されたPainted Ladyを前身とし、当時の参加メンバーには後にジャズギタリストとして活躍するディアドラ・カートライトや後にGo-Go'sに参加するベーシストのキャシー・バレンタインなどがいます。当時は女性ロックバンドが珍しく、他にはランナウェイズ(リタ・フォードが在籍)やプラグマティクス(ウェンディ・O・ウィリアムス)ぐらいか。「女性ボーカルのロックバンド」だとジェファーソンエアプレイン、ハート、ルネッサンスらがいましたが、70年代後半になると「女性だけのバンド」がいくつか生まれてきて、Girlschoolもそうした流れの中で出てきた先駆者のひとつと言えるでしょう。
幾多のメンバー交代を経て1978年にGirlschoolにバンド名を改名、ファーストシングル「Take It All Away」を1978年12月にリリース。そして彼女たちのライブをMotörheadのレミーがマネージャーのダグ・スミス(MotörheadとHawkwindのマネージャー)と共に観に行って気に入り、スミスがGirlschoolのマネジメントも行うことに。その縁から1979年のMotörheadのOverkillツアーのサポートを務め、Bronzレコードとの契約を獲得します。この辺りの経緯からMotörheadの妹分と評されることもありました。
そして1980年6月にN.W.O.B.H.M.の波に乗る最高のタイミングでデビューアルバム「Demolition」をリリース。全英28位に到達。そのままツアーを続け、ライブの様子がTVで取り上げられたりして話題になっていきます。「全員女性のメタルバンド」はそれだけで当時かなり斬新でした。基本的にロック音楽、その中でもヘヴィ・メタルは特に男性的なイメージが強く、女性のメタルバンドというのはかなり珍しい存在。彼女たちに影響されて活動を始めた女性メタルアーティストも数多く存在します。彼女たちは後のRiot Girrrlのアーティストたちのようにことさら女性解放を歌うことはありませんでしたが、「女性だけのヘヴィメタルバンド」という存在自体が「ヘヴィメタルは男性のもの」という固定概念に対する強力なアンチテーゼとして機能しました。
本作のプロデューサーはヴィック・マイレ。Motörheadの名盤「Ace Of Spades(1980)」をプロデュースした人です。セッション中、マイレはモーターヘッドとの共演を提案し、その結果アルバムに先駆けてEP「St. Valentine's Day Massacre」がリリース。EPにはジョニー・キッド&ザ・パイレーツの曲「Please Don’t Touch」のカバーと2つのセルフ・カバーが含まれており、MotörheadがGirlschoolの「Emergency」を、GirlschoolはMotörheadの「Bomber」をカバーしています。
1981年2月19日のBBC1、Top Of Popsで2つのバンドがHeadgirl名義で「Please Don’t Touch」を演奏。こうした話題性やプロモーションもあり、EPは1981年2月に全英シングル・チャートで第5位、 1981年12月にはシルバーに認定され、当時の両バンドの最高のセールスとなります。
BBC出演時の映像。
この勢いのままセカンドアルバムである本作が1981年4月にリリースされ、同名のシングルもリリース。どちらも英国で大成功を収め、アルバムは全英 5位に到達。ニュージーランドとカナダでもチャートインしゴールドディスクになります。本作の成功により、GirlschoolはN.W.O.B.H.M.の最高潮にあったUKでも注目を集める存在となり、中規模アリーナをソールドアウトにするUKツアーを行い、各種フェスにも呼ばれるようになります。冒頭で書いたようにその後もバンド活動は長く続いていきますが、商業的な成功は本作が最高点。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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