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連載:メタル史 1983年⑧Slayer / Show No Mercy

スラッシュメタルの”帝王”ことUSのスレイヤー。LA郊外、カリフォルニア州ハンギントンパークから現れた彼らは、1983年にLAのクラブでビッチというバンドの前座をしていたところをメタル・ブレイドレコードの創設者ブライアン・スレイゲルの目に留まり、レコードデビューを持ちかけられます。メタル・ブレイドの名コンピ、「Metal Massacre」のⅢに参加した彼らはアンダーグラウンドメタルシーンで話題となり、そのままメタルブレイドと契約。デビューアルバムである本作の制作を行います。

Metal MassacreⅢ
参加アーティストは上記の通り
Slayerは1曲目で、2曲目にSlayerがデビューのきっかけをつかんだBitchも収録
他にこの後も活躍するバンドだとVirgin Steeleが参加しています

制作当時のオリジナルメンバーはトム・アラヤ(Vo.B)、ケリーキング(Gt)、ジェフハイネマン(Gt)、デイブロンバート(Dr)。本作はかなりアンダーグラウンド色の強い、荒々しいプロダクションながらメタルブレイドレコード史上最大の売り上げとなり、平均5000枚程度の売り上げだったレーベルに15000~20000枚の売り上げをもたらします。1983年に発表されたMetallicaKill Em’ Allと並び、当時最先端のスピードメタルとしてメタラーたちに高い評価を浴びます。「Thrash Metal」という呼び名は1984年以降、Kerrang!誌が使い始めるのでリリース時点ではSpeed Metalとして扱われることが多かったようです。

1983年のスレイヤー
髪があるとケリーキング感が薄いですね
調べてみるとだいたい1993-94年頃にスキンヘッドにリボーンした様子

ジャケットも逆五芒星と山羊頭の悪魔が描かれ、歌詞の内容も反キリスト、悪魔的なもの。VenomMercyful FateJudas PriestIron Maidenといった欧州メタルバンド達から大きな影響を受けたとケリーキングが語っています。1983年はグラムメタルとスラッシュメタルという2つの異なる方向性への進化が「メタルの次の進化」の青写真として現れました。

80年代初頭のメタリカとスレイヤー

トム・アラヤはこのアルバム制作当時、呼吸療法士として病院で働いており、彼の貯蓄がレコード制作の資金の助けとなったそう。Slayerの最初のツアーの時もまだ勤務しており、ツアー当日に「やるのか、やらないのか」とブライアン・スレイゲルから連絡を受けてSlayerの活動を選びます。ここからSlayerの伝説が始まる。2019年のフェアウェルツアーまで、35年以上にわたる活躍を続けていくことになります(2024年にも復活予定)。ケリーキングの40年の進化を追ったビデオがありました。ギターサウンドの変遷と共に髪の毛が体重と反比例していく様子が追えます。

本作はバンド自身がプロデューサー、エクゼクティブプロデューサーとしてブライアン・スレイゲルが参加。スレイゲルは上述の通り、USにおける独立系メタルレーベル最大手の一つ、メタルブレイドの創業者にして現在にいたるまでの代表者ですね。この後も数多くのメタルバンドのアルバムに関わっていきます。また、後にDark Angelのドラマーとなるジーンホグランがたまたま録音中にスタジオに遊びに来ていたらしく、バッキングコーラス(というか掛け声)に参加しています。本作は後の作品に比べるとまだSlayerの作品としては粗削りであるし、他のバンドからの影響や連続性が分かりやすい形で残っていますが、1983年のメタル最前線を切り開きスラッシュメタルの確立のみならず、後のDeath Metalの確立にも影響を与えました。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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