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連載:メタル史 1983年④Metallica / Kill 'Em All
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後にメタル界最大のバンドとなるMetallicaの門出。1981年、ラーズウルリッヒが地元の新聞に出した「ダイアモンドヘッド、アイアンメイデン、タイガーズオブパンタンの曲をジャムセッションできる相手を探しているドラマー」という広告で集まったジェイムスヘットフィールドらでバンドが結成され、2回目のギグにして1982年初頭にSaxonのアメリカツアーの一公演の前座に抜擢されます。異例の抜擢。実は、もともとMötley Crüeが前座の予定だったのがモトリーの人気が急上昇していたので急遽Metallicaに変更されたという小ネタ。この当時、Metallicaの活動拠点もLAであり、Mötley CrüeとMetallicaは同じく「LAのメタルシーン」で活動するバンドでした。だから意外と最初期はサウンドに共通点も見られたりします(セカンドアルバム以降は距離が離れていきますが)。
1982年半ばに別のバンドでプレイしていたクリフ・バートンのプレイを見て衝撃を受けたヘットフィールドとウルリッヒはMetallica加入を打診。バートンが出した加入の条件が「活動拠点を(当時バートンの拠点だった)サンフランシスコ、ベイエリアに移す」こと。これを飲んだMetallicaはクリフバートンを得て、拠点をサンフランシスコに移すことになります。
また、初期メンバーには後にMegadethを組むデイブ・ムステインがリードギタリストとして在籍。ただ、酒癖が悪く癇癪持ちだったようで、1983年4月にトラブルを起こしたムステインが解雇され、代わりにExodusのカーク・ハメットが加入。ラインナップが揃います。だから、最初期のMetallicaのデモテープにはデイブムステインが参加しているし、本作に収録されている曲も大半がムステイン在籍時かつバートン加入前に出来上がった曲。ムステインからすると「曲も職も奪われた」と感じて両者の確執が長引くことになります(のちに一緒にツアーを回るなど和解するも現在はそこまで仲良くはない様子。MetallicaとMegadethの確執はメタル界の伝統的な話題の一つ)。
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バートンとムステイン在籍時代のメタリカ
カーク・ハメットは技巧派で知られるギタリストのジョー・サトリアーニの弟子であり、いわゆる「ギターヒーロー」タイプの立ち居振る舞いはあまりしないものの確かな技術を持ったギタリスト。ハメットが後年語ったところだと本作録音時に彼が一番影響を受けたギタリストはUFOのポール・チャップマン(マイケルシェンカーの後任)で、本作にはポールチャップマン的なフレーズが出てくる、とのこと(出典)。ポールチャップマン時代のUFO(「No Place to Run(1980)」「The Wild, the Willing and the Innocent(1981)」「Mechanix(1982)」)辺りを聴くと確かに本作のギターソロと通じるものを感じます。
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本作は後にMetallicaがUSを代表するようなバンドとなっていくにつれて再評価され、セールスも米国だけで450万枚を売り上げていますが、リリースされた当時、1983年に米国で売れた枚数は17000枚。リリース当時はメタルマニアだけに注目されたアルバムでした。
いわゆる「スラッシュメタル」の嚆矢とされる作品。VenomのBlack MetalやAcceptの「Fast As A Shark」など疾走感のある曲はそれまでもありましたが、USのメタルシーンからこうした音が出てきたのは歴史的な分岐点です。ラーズウルリッヒはデンマーク人であり、N.W.O.B.H.M.に強い共感を持っていたことも背景にあるのでしょう。当時のUSのメタルシーンの中で最もN.W.O.B.H.M.直系の音を意識的に鳴らしていたアルバム。
プロデューサーはポール・クルシオ。そこまで著名ではなく、本作が代表作と言えるでしょう。NYのスタジオで本作は録音されています。西海岸のバンドなのに東海岸でレコーディングしている。多国籍多人種(ラーズはデンマーク人、カークはフィリピン人の母親を持つ)、かつ西海岸のバンドなのに東海岸で録音する、など、偶然かもしれませんが「さまざまなシーンや場所を横断し、混交していく」というその後のMetallicaというバンドの門出にふさわしい作品。Metallicaについては今後も語る機会があるので今回はここまでにしましょう。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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