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連載:メタル史 1985年まとめ
1985年の10枚を聞き終わりました。1985年最大のトピックはハードコアの影響の増大。クロスオーバースラッシュやブラックメタルの萌芽、ノイズレコードがジャーマンメタルに新しい風を吹き込むなど、ハードコア由来のより激烈な表現が増えてきます。
1980年にUKで噴火したNWOBHMの火が1983年頃には沈静化するころ、USではスラッシュメタルが芽吹き、メインストリームではグラムメタルが脚光を浴びて「ヘヴィメタルシーン」が商業的に拡大する中、1984年にはドゥームメタルも復活してきた。そして1985年にはスラッシュメタルの進化の一つとしてハードコアとの融合が表面化してきた、と言えるでしょう。
メタル史に対するハードコアからの影響が表面化してきたこのタイミングで少し、各国のハードコアシーンの状況を振り返っておきます。ただ、当連載はあくまで「メタル史」なので、ざっくりした概要のみ。こうした動きがメタルシーンに大きな影響を与えるようになっていきます。その萌芽が1985年の最大のトピック。
USのハードコアシーン(~1985年)
1970年代の終わりごろ、パンクがThe RamonesやThe Dead Boysなどの影響で広まり、だんだん商業化していきます。UKのSex Pistolsらに比べるとより攻撃的で速いのが特徴。商業化していくパンクに対してより過激なハードコアと呼ばれるジャンルが1980年代に入ると登場してくる。初期のピュアなシーンでは1981年にLAでBlack Flagが、ワシントンDCではBad BrainsやMinor Throtが出てきます。ハードコアは商業的なものから距離を置いたため、全部自分たちで作り、配給するというDIY(Do It Yourself)の精神が培われる。これはアンダーグラウンドのメタルシーンにも後に引き継がれるものですね。
1985年時点では地域ごとの個性(カリフォルニア、ワシントン、NY、ボストン、テキサスなどで地域性のあるシーンがあった)があるものの、大きな流れとして細分化が始まっており、下記のような4つのサブジャンルが発生。
1.クロスオーバー・スラッシュ
ハードコアとスラッシュメタルが融合し、よりヘヴィで高速なサウンドが台頭していた。Metallica、Slayerなどのスラッシュメタル勢とも共鳴しながら発展していく。このムーブメントで重要なのがAnthraxでありS.O.D.
2.メロディックハードコア
後のメロディック・パンクの基盤となる音楽性がこの時期に発展。
3.ポストハードコア
エモやオルタナティブに繋がるサウンドが生まれ、ハードコアの攻撃性を内省的な表現に転化する動きもあった。代表的なアルバムはHüsker Düの『New Day Rising』(1985)。
4.パワーヴァイオレンス
より短く、速く、過激なハードコアが登場し始める。Siegeなど。
ハードコアが細分化していく中で、メタルと融合し始めます。
ナチスパンクとアンチナチスの対立
また、この頃ハードコア内部で発生していたのがナチスパンク(Nazi Punks)とアンチナチス(Antifa Punks)の対立。Oiパンクなどの隆興でスキンヘッドのパンクスが増え始めましたが、ナチス信望者もスキンヘッドであり、パンクのライブにナチ派が入り込み始めた。ナチスパンクとは「白人至上主義的な思想を持つスキンヘッドや極右思想のパンクス」のことで、人種差別的で暴力的な、けっこう話に聞く限りだと迷惑なだけの人たち。社会背景として1980年代のアメリカは、ロナルド・レーガン政権による新自由主義政策によって貧富の格差が拡大し、一部の若者は極端な政治思想に走った。これがハードコア・シーン内でも反映され、極右思想を持つナチスパンクが一定数出現したとされています。
で、そんな迷惑な奴らを追い出そうとするパンクスももちろん存在。それがアンチナチス・パンク(Antifa Punks)で、彼らは、ナチス的な要素がシーンに入り込むことを許さず、ライブ会場などで積極的にナチスパンクを排除しようとした。代表的なのがDead KennedyやAgonistic Ftont、Minor Threatといったバンドや、「スキンヘッドにしてるけど俺たちはナチが嫌いだ!」というNYCのスキンヘッド勢力(SHARP)。1980年代後半にはSHARP(Skinheads Against Racial Prejudice)という「人種差別に反対するスキンヘッド集団」が結成され、ナチスパンクとの抗争を展開。1985年時点で下記のような暴力沙汰がいくつも起きています。
1983年 – ロサンゼルスの暴動
Black FlagやCircle Jerksが出演するライブでナチスパンクとアンチナチスのパンクスが衝突。警察が出動し、多数の逮捕者が出る。
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1984年 – ワシントンD.C.の衝突
Minor Threatのライブで、ナチスパンクの集団が乱入し、暴力沙汰に発展。
Ian MacKayeが自ら「ナチスパンクを殴り飛ばした」という逸話がある。
当日の映像ではないが当時のマイナースロットのライブ
1985年 – ニューヨークのCBGBでの乱闘
Cro-Mags、Murphy’s Lawのライブにナチススキンが現れ、客と乱闘。
その後、NYHCのシーンではナチスパンクの排除が加速。
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その後、1990年代になると先述したSHARPなど、アンチナチスの組織が生まれたことなどもありナチスパンクの活動はUSにおいては縮小、沈静化。ただ、それが時を経て東欧ではRACやナショナルソーシャリストブラックメタル(NSBM)などの形で噴出してきます。この辺りの話はまたメタル史の中で触れていきますが、ブラックメタルを追っていく中でおいおい。
ハードコアとの融合がメタルシーンに持ち込んだもの
こうした紛争が盛んだったのが1985年という時代。ただ、基本的にこうしたハードコアシーンの対立はあまりメタルシーンには影響を与えませんでした。クロスオーバースラッシュを通じて一部の政治的な対立はメタルシーンにも持ち込まれたましたが、メタルには下記のようなハードコアシーンとは異なる3つの特徴があったため、ハードコアシーンほど先鋭化せず。
1.個人主義が強い
ハードコアパンクは「シーン」や「コミュニティ」意識が強いのに対し、メタルは個々の技術や表現の自由を重視する。政治よりも「音楽そのもの」に焦点を当てる傾向がある。
2.政治的立場を明確にしないバンドが多い
例えばMetallicaやMegadethは戦争や社会問題について歌っていたが、特定の政治思想に肩入れすることは避けた。Slayerのように戦争や暴力をテーマにしながらも、政治的なスタンスを曖昧にするバンドもあった。
3.フィクションやホラー的要素が多い
メタルは歴史や神話、ホラー映画のようなフィクションを取り入れることが多く、直接的な政治メッセージを回避する傾向がある。
もちろん、例外的なバンドや一部のいざこざはありましたが、ハードコアシーンほど大規模な対立には至りませんでした。ただ、本格的な暴力による対立構造は持ち込まれなかったものの、「ライブにおける暴力性の増加(モッシュピットなどはこの時に持ち込まれた)」「DIY精神の導入(アンダーグラウンドメタルシーンの拡大)」「ファッションやライフスタイルの融合」が見られました。これが1985年、USのメタルシーンに起きた大きな動きの一つです。
UKのハードコアシーン(~1985年)
いっぽう、USはUKとは事情が少し異なります。大きく言えば「より政治的」で「(USと比較すると)音楽性もダークでヘヴィ」。UKのハードコアシーンにおいてはCrassとDischargeという2バンドの影響が大きいです。
1985年時点でのUKハードコアシーンにおける主要な動きは下記の4つ。
1.クラスト・パンク(Crust Punk)
1985年のUKHCの最も大きな変化の一つは、クラスト・パンクの台頭。クラスト・パンクは、ハードコアパンクとアナーコパンク、そしてスラッシュメタル的な重さが融合したスタイルで、1985年頃から急速に成長した。このジャンルで有名なのはAmebixの「Arise!(1985)」。
3.D-Beat(Dischargeスタイルのハードコア)
UKHCにおけるD-Beatの影響は1985年時点でも継続していました。本家Dischargeに1980年〜1982年の全盛期ほどの勢いはなかったが、D-beatのスタイルは世界中のハードコアバンドに影響を与えていた。『Hear Nothing See Nothing Say Nothing』(1982年)がスタンダードになり、後のバンドがこのスタイルを発展させていく。この中で有名なのがSacrilegeのメンバーも在籍していたThe Varukersですね。
3.アナーコ・パンク(Anarcho-Punk)
UKHCの根底にはアナーコ・パンクの影響があり、多くのバンドが社会・政治的メッセージを発信していた。そもそもUKパンクの代表曲はSex Pistolsの「Anarchy In The UK」ですからね。原点。このジャンルで著名なのがCrass。
4.グラインドコアの萌芽
メタル史的には重要な事項として、1985年は後のグラインドコアにつながるバンドが誕生し始めた時期でもありました。Napalm Death(結成は1981年)は1985年時点ではまだハードコアパンクの延長線上のバンドですが、この頃からメタルの影響を受け、のちに『Scum』(1987年)でグラインドコアを確立。
これらの流れの中で生まれたのが連載でとり上げたSacrilegeであり、UKHC史においてもUKメタル史においても重要な連結点です。
USとUKの違い
USとUKのハードコアシーンを比べると、下記の点が相違しています。
1.アナーコ・パンクとの結びつき
Crassの影響で、UKHCの多くのバンドが強い政治的メッセージを持っていた。反戦・反資本主義・反権力のテーマが中心。
2.ダークでヘヴィなサウンド
USハードコアよりも、よりダークでヘヴィなサウンドが特徴。
初期のD-beat(Dischargeが確立したリズム)や、後のグラインドコアへと繋がる音楽性が発展。
3.DIY(Do It Yourself)精神の強さ
Crass RecordsやCorpus Christi Recordsなど、インディペンデントなレーベルが支えていた。自主制作のカセットやレコードが流通し、ファン同士のネットワークが強固だった。USに比べても(市場規模が小さいこともあり)さらに草の根的。
また、これは地理的なものですが北欧(特にスウェーデン)のハードコアシーンが誕生し、これはUKHCと相互に影響を与え合っています。
UKの社会背景
当連載でも何度か触れていますが、1985年時点のUKはマーガレット・サッチャー政権下の社会不安が広がっていた。炭鉱ストライキ(1984〜1985年)では労働者階級と政府の対立が激化し、パンクシーンでも多くのバンドが政府批判を強めていたり、都市部の暴動で貧困や警察の暴力に対する抗議が続いていました。こうした背景を基にハードコアの歌詞にも「反警察」「反政府」のメッセージが多く含まれるようになった。
80年代初頭にパンクとメタルの対立が激しかったのもイメージとしてはUKの方で、パンクが短髪なのは工場労働者が髪を機械に巻き込まれないために短くしていたからだし、パンクファッション御用達のDr.Martensももともと工場労働者のワークブーツです。頑丈な革靴。
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それに比べるとメタル愛好者は(パンクスに比べると)中流階級が多かったのでしょう。長髪で、ライブでビールを飲んで騒いでいた。”うっぷんが溜まっている若者”という点では同じでも、直面している課題が違う。階級間闘争的な意味合いがあった。これはUSには見られないものです。逆に、USで観られたナチスパンクとアンチナチスの抗争的なものはUKでは見られません。さすがにUKにはナチスがほとんど根付けないのでしょう。自国の直近の栄光を否定するようなものだし。
ただ、「白人至上主義の極右主義」みたいな要素はなくとも、上述したように基本的にUKのハードコアは反政府。社会課題に対して痛烈に批判をしています。
その他の国のハードコアシーン
なお、欧州にはほかにドイツにはDeutschpunkというパンクシーンがあり、そこからドイツハードコアが誕生。USのバンドがドイツツアーをすることも多く、ジャーマンメタル史において重要なレーベルであるノイズレコードももともとハードコア関連のレーベルの中のメタル部門でした。なので、ノイズレコード所属のジャーマンメタルバンド、Helloween、Grave Digger、Running Wild、そしてスイスだけれどHellhammer~Celtic Frostはハードコアシーンへの接近が見られますし、Scorpions、Acceptと比べると(曲構成やメロディセンスなどは連続する部分も感じられるものの)音響的には一気に荒々しくなります。なお、ドイツで盛んだったのは左翼的なポリティカルハードコア。UKHCと同様、反戦・反権力・反資本主義的なメッセージが多かった。当時のドイツは東西分断の影響もあり、ハードコアシーンも政府や警察の弾圧に対する反抗をテーマにした曲が多いです。
ドイツ以外にも当時の欧州にはフランス、イタリア、オランダ、スウェーデンなどにハードコアシーンが存在。UKが中心地であり、次がドイツ。そしてそのほかのシーンがそれぞれの地域性を持って活動を始めていました。この辺りの流れがメタルシーンにも表れてきます。
その他の総括
こちらはアンダーグラウンドシーンの流れですが、1985年はメタルシーンでバカ売れしたアルバムは生まれず。メインストリームだとRATTやDokkenが活躍しはじめていますね。あとはハードロック路線のHeartがヒットを飛ばしたころ。また、Aerosmithが復活作Done With Mirrorsを出しています。ただ、商業的にもメタルが大ヒットした、というよりは地下でふつふつとマグマが溜まっていた1年、と言えるかもしれません。過激化、アンダーグラウンドからの圧力が高まり、メタルシーンが変化していった1年。
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なお、Celtic Frostのアルバムはやはり改めて聞いても異質で、このアルバムってオーケストラ、いわゆる中世の音楽ではなく現代、つまり映画音楽、それもホラー映画とか怪獣映画からの影響を強く感じます。そうしたオーケストラの現代音楽をハードコアの激烈性すら感じるエクストリームメタルに取り入れた。Possessedも10代のボーカリストが激烈なグロウルスタイルを開発し、デスメタルの萌芽となる。激烈性の表現が一気に進化した1年だったと言えるでしょう。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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