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連載:メタル史 1985年⑦Possessed / Seven Churches 情報編

Possessed(ポゼスト)は1982年、USサンフランシスコで結成されたデスメタルバンドです。取り上げてきたMetallicaExodusや名前が良く出るTestamentDeath Angelらと並び、ベイエリアスラッシュシーンで頭角を現していったバンド。ただ、他のバンドに比べると5歳ぐらい年下で、新世代と言ってもいいバンドです(Metallicaラーズウルリッヒ1963年生まれ、Exodusゲイリーホルト1964年生まれ、Testamentチャックビリー1962年生まれに対し、Possessedジェフベセラ1968年生まれ)。N.W.O.B.H.M.におけるDef Leppardみたいな。ムーブメントの中では若いバンド。今となっては4歳とか5歳の差はあまり気になりませんが、当時は18歳と23歳とか、だいぶ違います。このアルバムの時ジェフベセラはまだ16歳。若い。

1982年、サンフランシスコ・ベイエリアでマイク・トラオ(ギター)とマイク・サス(ドラム)が、ボーカリストのバリー・フィスク、元エクソダスのベーシストのジェフ・アンドリュースとポゼストという名前でガレージバンドを結成したのが始まり。ただ、初代ボーカルのフィスクが恋愛トラブルで拳銃自殺してしまい、アンドリュースも脱退。活動は暗礁に乗り上げます。

その頃、ベーシスト兼ボーカリストのジェフ・ベセラは近隣でそれまで所属していたバンドを解散したばかりだった。そのバンドはいわゆる高校生バンドですね。トラオとサスからアプローチを受けたベセラは、ボーカルとベーシストの空席を埋めるためポゼスドに加入。加えて、バンドは新しいギタリストを募集する広告を出し、ブライアン・モンタナがそれに応えてポゼスドの第二期ラインナップが完成します。

そして1984年に3曲入りのデモテープ『Death Metal』をリリース。ベセラのボーカルスタイルがグロウルタイプだったことや激烈な疾走感から、このデモテープのタイトルから彼らがデスメタルの祖と言われることもあります。

このデモテープが本連載ではおなじみのMetal Bladeオーナー、ブライアン・スレイゲルの目に留まり、名コンピレーションシリーズ『Metal Massacre VI』に「Swing of the Axe」が収録。一応、デビューアルバム前だとこの曲がデビュー曲ということになります。

ただ、この曲をリリース後、ギタリストのモンタナが創造性の相違で脱退。代わりにかつてベセラが組んでいた高校生バンドの仲間、ラリー・ラロンドが加入。この時のラインナップで本作がリリースされます。ラロンドはベセラと同じ1968年生まれ。

1985年のPossessed、左から2人目のブロンドがベセラ、右端の黒髪がラロンド

ちなみにトラオとサスはそれぞれ1964年と1965年生まれ。基本は大学生バンドだったところに高校生のボーカルとギターが入った、というとイメージしやすいか。

無邪気な笑顔を見せるメンバー

なお、ラリー・ラロンドはのちにPossessedを脱退しますが、その後1989年にPrimusに参加、現在に至るまで活動を続けています。Primusのメンバーとしての方が有名ですね。

本作は先のコンピレーションがCombat Recordに注目され契約を結び、リリースされたもの。ヨーロッパでの配給はロードランナー。このアルバム収録時、ベセラとロランドはまだ16歳です。当時まだ高校3年生であり、このアルバムは1985年の春休み中に録音されたそう。若さがみなぎる作品。タイトルはヨハネの黙示録の「7つの教会」から取られており、激烈な音楽性は史上初のデスメタルアルバムと言われています。フロリダ州、USデスメタルの雄たるDeathのデビューアルバムより2年早かった。

PossessedとDestructionの集合写真、おそらく1985年のイベント時のもの

1985年11月、バンドは本作リリースを記念してカナダのケベック州モントリオールで行われたWWIIIウィークエンド・フェスティバルに出演し、Celtic FrostDestructionVoivodらと共演した。このコンサートはポゼスドにとって初にして最大のアリーナ公演となり、約7,000人が参加。この後でサポートツアーを行い、1986年にはSlayerVenomと共演しています。

ちなみにこの頃のバンドのマネージャーはデビー・アボノという(当時で)50代の女性。この方、当時のラロンドのガールフレンドのお母さんで、お堅い職業についていた方で地方銀行の創業者の娘で金融業界の人。当時まだ高校生だったラロンドの願いで、「ベセラとラロンドが高校を卒業するまでね」という約束でマネジメントを始めます。まったくメタル音楽に触れていなかったため、バンドの音楽性や歌詞には眉をひそめていたそう。やがてバンドは喧嘩別れで崩壊してしまいますが、なぜかその後スラッシュ、デスメタル界隈のマネージャーとして活動を続けます。Exodus、Vio-Lence、Forbiddon、Obituary、Sepultura、等々、、、。慕われる人柄だったのでしょう。エクストリームメタル界のお母さん的存在になっていきます。

デビーアボノ
2010年に80歳で亡くなりますが、彼女の死を悼んで
マシーンヘッドのロブ・フリン(かつてVio-Lence在籍時にマネジメントしてもらっていた)は
Black Sabbathの「Die Young」をトリビュートとして録音し、公開しました

バンドにフォーカスを戻しましょう。バンドはその後もセカンドアルバムを1986年にリリースするなど活動を続けますが、激烈性が低下し方向性が迷走。デスメタルの進化を掘り下げる方向ではなく、既存のThrash Metalに接近していきます。1987年5月にリリースされたEP「The Eyes of Horror」はギタリストのジョーサトリアーニがプロデュース。この後バンドは崩壊。

しかしドラマは終わりません。80年代のバンド崩壊後、1989年にベセラが銃で撃たれ、胸から下が完全にマヒしてしまいます。ベセラはそれでも音楽活動を続け、2007年にはベセラを中心にPossessedも復活。車いすの上で歌うスタイルで活動を続けています。

近年のベセラ、Stay Metal!

80年代には結果としてDeath Metalの実質的なパイオニアでありながらDeathのように自らのスタイルを掘り下げていくことが出来ず時代の中に埋もれて行きましたが、のちに再評価され未だに活動しているのは不屈の精神を感じます。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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