連載:メタル史 1981年②Def Leppard / High 'n' Dry
1980年、N.W.O.B.H.M.ムーブメントの最若手としてデビューしたDef Leppard。彼らは80年代におけるこのムーブメントの最大の商業的成功例として知られていますが、実のところ本作リリース時点ではまだ成功を掴んでいません。前作はリリース時のUKチャートは15位止まり(ちなみに1980年の最高位だとIron Maidenが4位、Saxonは4位)で、本作もリリース時はUKで26位、USで38位止まり。彼らが大ヒットするのは次作「Pyromania(1983)」からであり、それにはMTV時代に乗るようなMV戦略、ビデオヒット戦略が功を奏したからとも言われています。
その最初のヒットとなったのが本作に収められたBringin' On the Heartbreak。リリース時にはそれほどヒットしなかったのですが1982年になってMVがMTVで大ヒット。一躍本作もロングセラーとなり、次作の大ヒットへの布石となります。2024年現在では本作もUSでダブルプラチナム(200万枚)以上を売る大ヒットに。ただ、制作時およびリリース時ではバンドはまだ成功を収めておらず、ヒットを掴もうと挑戦する若きバンドでした。
MTVでUKのバンドがヘビーローテーションされた背景に、UKではMVという文化がいち早く出来上がっていたことが挙げられます。1970年代の後半からUKの音楽番組ではライブ出演だけでなくMVを流す慣習が生まれていた一方、USではほとんどMVは作られていませんでした。MTVの開局が1981年8月1日で、その時点で流せるUSアーティストのMVはかなり限られていた。そのためUKのアーティストが大量にオンエアされ、そこからヒットが生まれていきます。これはセカンド(第二次)ブリティッシュインベンションと呼ばれ(第一次はThe BeatlesやThe Rolling Stonesの世代)、Def Leppardもその波に乗ります。
結果として、次作Pyromania(1983)においてDef Leppardは全米2位、現在までの累計販売数が米国だけで1000万枚という破格の成功を収めるとともに、そこに収められたサウンドはかなり洗練されたものとなり、N.W.O.B.H.M.の荒々しいサウンドからは完全に距離を置きます。1982-1983年のDef LeppardのUS進出の成功によって他のUKメタルバンド達もUS市場への進出を目指して音楽性を変化させていき、結果としてN.W.O.B.H.M.の時代から次の時代へ変わっていきます。ただ、本作はその前夜、まだDef LeppardがN.W.O.B.H.M.から変化の途上にいた時代の作品です。
なお、少し面白いのはPyromania(1983)はUSでは上述の通り大成功しましたが、UKでは18位止まりで累計の売り上げもいまだにシルバー(6万枚)止まり。この時点ではUKではそうした変化が受け入れらていなかった、USとUKの音楽的嗜好が違っていたことがうかがえます。その次のHysteria(1985)ではUS、UKともに1位を獲得するので、1983-1985の間にUK市場の嗜好が変わったのかもしれません。それは今後の連載で変化を見ていきましょう。
本作のプロデューサーはロバートジョン”マット”ラング。マット・ラングの通称で知られています。南アフリカ出身であり、AC/DCのBack In Blackを手掛けたプロデューサー。メタル、ハードロック系だけでなくより幅広いロックやカントリー系のプロデューサーであり、シャナイアトゥエインの夫としても有名で彼女の大ヒット作品も多く手掛けています。PyromaniaとHysteriaでは曲も共作するようになり、Def Leppardの80年代の大ヒット作はすべてマットラングとタッグを組んで生み出されていきます。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
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