連載:メタル史 1981年⑧Accept / Breaker
Scorpionsと並んでジャーマンメタルの祖とも言えるAccept。1960年代後半~1970年代にかけてドイツでクラウトロック(ドイツ人のロック)と呼ばれるシーンが生まれ、CAN、Kraftwork、Amon Duul、Tangerine Dreamら特異な音像を持ったバンドが生まれました。David Bowieもブライアンイーノと共にクラウトロックの影響下にあるとされるベルリン三部作「Low(1977)」「Heros(1977)」「Lodger(1979)」を制作。そもそも、The Beatlesもドイツ、ハンブルグで本格的な活動をスタート(1960-1962)しましたし、60年代から70年代にかけてしっかりとした独自のロックシーンがドイツには根付いており、UKロック界や欧州音楽界全体に影響を与えていました。そもそも、19世紀以前はドイツ(オーストリア)あたりが欧州音楽の中心地でしたからね。
なお、クラウトロックは別名コズミックロック(ドイツ語だとkosmische Musik:コスミッシェ・ムジーク)とも呼ばれます。宇宙的な音楽。サイケデリック、電子音楽、実験音楽といった要素を含んでいるのでいいネーミングですね。1968年ごろから学生運動が盛んになり、ドイツの若者たちが第二次世界大戦での自国の遺産からの脱却、伝統的なドイツ音楽やアメリカのポップスとは異なるポピュラー音楽を求める中で特異なシーンが生み出されました。最大の特徴とされるのはビート感、4/4のMotorik(モートリク:ドイツ語で「運動能力」の意味)ビートで、ミニマルミュージック、テクノなどで機械的、規則的な印象を生みます。
Acceptの前身は1968年、ボーカリストのウド・ダークシュナイダーがのちにドイツのHR/HM系プロデューサーとして大成するマイケル・ワグナーと結成したBrand Xに遡ります。その後、UKのブルースロックバンドChicken ShackのアルバムAccept(1970)にちなんでバンド名を変更。しかしなかなかラインナップが安定せずプロフェッショナルな活動ができませんでした。ようやくラインナップが安定し、デビューアルバム「Accept」をリリースしたのが1979年。同じドイツの先輩ロックバンドであるScorpionsに7年遅れてのデビューです。ウド・ダークシュナイダーとScorpionsの中心人物であるルドルフ・シェンカー、クラウス・マイネとの年齢差は3歳。結成時期もScorpionsが1965年なので、最初は3年遅れで活動していたのがデビュー時には7年差になっていた、というところですね。ウド・ダークシュナイダーはデビュー時27歳。
デビューアルバムAccept(1979)、セカンドアルバムI’m Rebel(1980)とリリースした後、ラインナップの変更があり、黄金期と呼ばれるラインナップを揃えてリリースされたのが3作目である本作。
ここからAcceptの快進撃が始まります。
前作「I’m A Rebel」が求めるほどの成功を得られなかった反省から、本作は自分たちの求める音像を追及しようと決めていたそう。中途半端に明るく、旧来のロックからの影響が強いものではなく独自性の高い音像を作ることにこだわって作られた作品。収録曲の「Son Of A Bitch」など、当時の感覚で言うとめちゃくちゃ過激なタイトル、歌詞です。リリース当時、UKではリリースできず、Born to Be Whippedというタイトルのマイルドな歌詞に歌い替えたバージョンが収録されました。また、他の地域でもこの曲だけは歌詞カードに不記載。完全に「反レコード会社」の曲だったそう。このアルバムの中で唯一の妥協点が明るいハードロック調のMidnight Highwayであった、と後にウルフホフマンが述べています。当時は尖っていたんですね。
本作のプロデューサーはダーク・ステファンズ。Acceptとは前作に続いてのプロデュース。後にRunning WildやPink Cream69も手掛けることになるプロデューサーです。エンジニアはウドのバンドメイトでもあったマイケル・ワグナーが担当。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
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