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連載:メタル史 1985年⑤S.O.D. (Stormtrooper Of Death) / Speak English or Die 情報編

S.O.D.の略称で親しまれるStormtroopers of Death。1985年、NYにて結成されたバンドで、スラッシュメタルとハードコアパンクを合体させたクロスオーバー・スラッシュというサブジャンルを生み出したバンドとされています。

メンバーはスコット・イアン、チャーリー・ベナンテのAnthraxのリズムギターとドラム。そこに元Anthraxのベーシスト、ダン・リルカーが加わり、ボーカルはAnthraxのローディーであり、サイコズ(NYのハードコアバンド)でベースを務めていたビリー・ミラノが参加。仲間内のサイドプロジェクトですね。AnthraxのSpreading the Diseaseのレコーディング中、自分のギターパートを録り終えたイアンが「軍曹D(Sargend D.)」と呼ばれるキャラクターの落書きを書きます(上のジャケットの顔の元ネタ)。このキャラクターが "I'm not racist; I hate everyone(俺は人種差別主義者じゃない、すべてが嫌いなんだ)"とか"Speak English or Die(英語を話せなければ死ね)"といった(当時のUSの感覚で)過激なブラックユーモアを書き連ねた。一コマ漫画的なものですね。Spreading The Diseaseはかなり作りこまれたメタル作品だったので、制作工程は緊張感が高かったと思われます。イアンはそれをコントロールしていた立場だし、完成のめどが立った時点で息抜きがしたくなったでしょう。そんな落書き、過激なジョークを書いているうちにそれが曲とバンドになっていくのは流石ミュージシャン。その時身近にいた仲間とともにジョークバンドを組むことを思いつきます。というのも、Spreading The Diseaseのレコーディングのために抑えていたスタジオ、少し時間が余ったらしいんですよね。せっかく時間があまったのだから何か録ろう、というのが直接の契機だった様子。それがこのアルバムになるわけです。

1985年のメンバー、左端がミラノ
フィギュア化された軍曹D

なお、このアルバムのリリース前に1つ、デモテープが作られています。ウォークマンで録音されたというまさに「デモテープ」である「Crab Society North」。63曲入り14分49秒。ノイズまみれで(そりゃ1985年にウォークマンで録音してるし)、曲はどれも1分以下、数秒のものも多くあります。録音中のスタジオのキッチンで録音されたらしく、完全なるお遊び。

このデモを録音した際、バンド名(S.O.D.)も決まったと言います。

ちなみに、タイトルの由来はもともとCrab Society(カニ協会)という名前の音質劣悪なデモテープをダン・リルカーがクレイグ・セダリ(ハードコアバンド、ストレート・アヘッドへの参加で知られる)で作っていたもの。それを聞いていたイアンが「こういうの俺たちもやろうぜ」というノリで作ったのがこのデモテープ。録音したスタジオがCrab Societyを作った場所より北にあったので「Crab Society North(カニ協会北)」というタイトルになったそう。適当。でもデモテープの仮題なんてこんなものですよね。

そして上述の通り、まだスタジオが使える時間があまっていたので本作のレコーディングに突入。3日で作曲から録音まで終わらせます。全制作期間1週間以下。そして1985年8月にリリース。Spreading The Diseaseは10月リリースですから、こちらのお遊びプロジェクトの方が先にリリースされたのですね。歌詞はかなり過激。「人を怒らせるためだけに書いた」とイアンが回想しています。関係各位を怒らせそうな歌詞が満載です。例えば「Fuck the Middle East」(タイトルからしてアレですが、、、)。

[Verse]
Fuck the Middle East, there's too many problems
中東なんかクソくらえ、問題が多すぎる
They just get in the way, we could sure live without them
あいつら邪魔をするだけ、あいつらがいなくても生きていけるだろう
They hijack our planes, they raise our oil prices
俺たちの飛行機をハイジャックし、石油価格を吊り上げる
We'll kill them all and have a ball and end their fuckin' crisis
奴らを全員殺して楽しんで、あいつらのクソみたいな危機を終わらせてやる

[Outro]
Beirut and Lebanon won't exist once we're done
俺たちが手を引きゃベイルートとレバノンは存在しなくなる
Libya, Iran, we'll flush the bastards down the can
リビア、イランは缶詰に流し込んでやれ
Syrians and Shi'ites, crush their faces with our might
シリア人とシーア派の奴らは俺たちの力で顔を粉砕してやる
Then Israel and Egypt can live in peace without these dicks
これらのチ〇コがなきゃイスラエルとエジプトは平和に暮らせんだろ

…過激。他にも下ネタは下ネタで過激だし、ハードコアパンクの表現としてもかなり過激と言える。楽屋のバカ話、飲み屋の極端な政治談議、社会風刺(というか悪口)、そんなものが抽出されて歌詞になっています。

基本的に完全にお遊びだったわけですが一部の好事家たちの間でその過激すぎるサウンドが話題となり、カルト的な人気を誇るようになります。Anthraxのアルバムでも言いましたがチャーリーベナンテはエクストリームなブラストビートの走り(gung-ho)でもあるんですよね。それまでに比べて激烈な表現を行っている。本作も同時期に録音され、さらにネタに振り切ったことでより高速かつやけくそな表現が使われており、爆発的な疾走感を持った曲も含まれていた。それがクロスオーバースラッシュの萌芽とされていくわけです。

ネタで始めたのに意外と評価を得たことから、1985年に短いツアーをAnthraxのツアーの合間に実施。基本的にはお遊びバンドだったのでそこで活動終了し、イアンとベナンテはAnthraxへ戻り、リルカーはNuclear Assultを、ミラノはS.O.D.を引き継ぎMOD(Method Of Destruction)を始めます。MODはミラノ以外はメンバーが違いますが、デビューアルバムのプロデュースをイアンが手掛けていますね。

一回限りで終わるはずが評価が高まったため1992年、再結成ライブをNYで行い、その時のライブ盤「Live At Budokan」をリリース。なお、NYでのライブなので武道館とはなんの関係もありません。そして散発的に活動し1999年にセカンドアルバム、2007年に3rdアルバムをリリースしています。イアン曰く「もうやらない」そうですが、一発のお遊びがこれだけ続いたのは凄いですね。

メタル界、エクストリームミュージック界に与えた影響は大きく、日本でもS.O.B.(最初はSon Of a Bitchの略だったそうだがあまりにアレなのでSabotage Organized Barbarianという正式名称に。1993年以降はSxOxBと記載、ちなみに当時のことを知る人に聞いたら「鈴木のお父さんバンドの略だったはず」とのこと。真実は謎)というバンドが1985年に誕生。S.O.D.の高速クロスオーバースラッシュをさらに突き詰めたような音楽を生み出しました。他、意外なところではPearl Jamのエディ・ベイダーが本作の大ファンで、イアンと会ったときに「いかに自分がこのアルバムから影響を受けたか」熱弁したとのこと。確かにベイダーの歌詞ってあけすけなところがありますが、、、まさかのS.O.D.直系!?

なお、本作の冒頭曲、「March of the SOD」はMTVのHeadbanger's Ballのオープニングに使われて知名度を上げました。1980年代のメタル界裏名盤ですね。

※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。

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1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…

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