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メタルとラウドロックの分岐点2:90年代~00年代初頭の「激しいロック」

「ラウドロックの歴史」という素晴らしい記事が公開されました。

以前、「メタルとラウドロックの分岐点」という記事を書いて、これってメタル側(というかB!読者側)からの視点だったんですよ。

この中で「日本市場においては「メタル」はBurrn!誌の印象が強すぎて、それに対してロッキンオン誌などが「ラウドロック」という言葉を使ったという側面もあるでしょう。」と書いていたんですが、冒頭の記事の中で「VAPのA&Rが名付けて、激ロック(webメディア)が広めた」とルーツが明確にされています(→出典)。

あー、なるほど、と。確かに僕も「ラウドロック」という言葉を最初に見たのは激ロックだった気がします。この記事書いた当時は激ロックのメディア規模が分からなくて例示していなかったんですよね。だけれど、そうか、激ロックかと。むしろロキノンは「ラウドロック」とか使わないのかも。B!以外の解像度が低かったなと反省しました。

あと、基本的に「ラウドロック」は邦楽を指す、というのも。ラウドロックが和製英語なのはわかっていましたが、そもそもあまり洋楽には使わないんですね(というか、リスナー層が違う?)。「2010年代ぐらいから日本である程度メジャーで活動している激しい系のバンド」と考えると分かりやすい。

で、僕はやはり「ラウドロック」はよくわからないんですよ。なので、こちらの2000年代後半以降の「ラウドロックの確立~現在」はとても勉強になりました。こうしたweb記事が公開されるのは読み手としても書き手としてもワクワクします。読みやすいし。

ちょっとこの素晴らしい記事に補足として、80年代~00年代のネタをいくつか。たぶん、「ラウドロック前史」としては余剰すぎると思いますが、(80年代~)90年代後半ー00年代初頭の「なんか激しい音楽を探していた」僕の思い出を書いておきます。ラウドロックの周辺音楽、前夜的な補足資料にもなるかも。

80-90s ハードコアとアンダーグラウンドシーン

まず、ジャパニーズハードコア、だと、ISHIYAさんの「ジャパニーズ・ハードコア30年史」が非常によくまとまっています。僕はこの当時のことはそんなに知らない。

で、個人史的にはこの当時にバンド活動をしていた友人がいまして、その人に聞いたら、ガーゼやギズム、カムズ、エクゼキュートあたりの「ハードコア四天王」とザ・スターリンはちょっと違う位置にいたそう。スターリンはTVとかも出ていましたかね。映画も出ていたし。もうちょっとメジャーなところで活動していたのかも。

1982年の映画、「爆裂都市」はある意味日本のパンクス、ハードコア界隈の幻想を映像化したものと言える。主題歌はバトルロッカーズ(ザ・ロッカーズとルースターズが合体した映画用のバンドで、ボーカルがのちにトレンディ俳優になる陣内孝則)。

この映画の中にスターリンが「マッドスターリン」として出演しています。

そこで演奏していた「メシ食わせろ」はINU(町田町蔵)の「メシ食うな」へのアンサーソング。

で、僕がこの辺りに入ったのは筋肉少女帯、大槻ケンヂからなんですね。90年代において「80年代アンダーグラウンドパンクシーンへの道先案内人」として大槻ケンヂ、特に彼のソロアルバム「Only You」の果たした役割は大きかったと思います。このアルバム、スターリン、INU、じゃがたら、ばちかぶり、PANTA(ex頭脳警察)、遠藤賢司とかのカバーが含まれていて、めちゃくちゃインパクトがあったんですよね。

その後、大槻ケンヂは筋肉少女帯が活動休止中にUnderground Serchlieというプロジェクトを立ち上げて2枚のミニアルバムをリリースします。ここに参加していたのがCoalters Of The Deepersで、その後COTDのNARASAKI氏と大槻ケンヂはハードコアユニット「特撮」の結成に動くわけです。このUnderground Serchlieは当時のジャパニーズアンダーグラウンドシーンの見本市みたいになっていて、非常階段も参加してノイズ界隈にも触れているし今考えても凄い内容(ノイズミュージックの分野は世界的に見ても日本がかなりプレゼンスが高い)。

ハードコア界隈だと、僕の周りで意外と知名度があったのが「猛毒」。自分たちのレーベル「殺害塩化ビニール」を持っていて、すべてのセンスが最高でした。

なんだかネタバンドとして扱われていましたが、グラインドコアの精神を体現したバンドでもあった。

80-90s ガールズパンクの流れ

あとはガールズパンクもありましたね。たぶん、源流に近いところは赤痢なんじゃないかな。タイトルが凄い。めちゃくちゃパンク。

少年ナイフが1981年、赤痢は1983年。赤痢がいて、ロリータ18号とかつしまみれがいて、おとぼけビーバーに繋がる。

こうしたアンダーグラウンドの流れはラウドロックではなく意外とアイドルの方に合流した気がしていて、大森靖子は大槻ケンヂと共演しているし、NARASAKIはももクロに参加しているし、そもそも頭脳警察のPANTAさんが制服向上委員会とかやっていたし。なんだかこわもてパンクだった人がアイドルと共演するという構図は面白い。


90-00頭 メロコアの盛り上がり(+スカコア)

他に思い出したこととして、メロコアブームってのがけっこうな規模であったんですよ。ラウドロック史でもハイスタ、GarlicBoys、10-feet、BRAHMANとかが取り上げられていましたが、意外とリアルタイムで衝撃立ったのがSnail Ramp。なんとオリコン1位(2000年)を取っていたんですよね。こちらの方が驚いたし、個人的に「この時が日本のメロコアブームだったんだな」と思っています。

他にはKEMURIが好きでした。スカが取り入れられていて、管楽器が入っていて音がこじゃれていた。こちらは1998年ごろかな。

90年代後半にこうしたスカコアバンドがいくつかいて、他にはPotshot。

Scafull Kingもいましたね。

このムーブメントは今聞くとカッコいいですね。


90-00頭 叫ぶ系(エモ/スクリーモ?)

とにかく叫ぶ系の人たちもいくつかいました。僕は大槻ケンヂが好きだったんで「高音で声をからして叫ぶ」系が好きだったんですよ。後のenvyとかのグロウルではない、なんというか「絶叫」系。まず思い出すのがEastern Youth。この曲は1998年ですね。当時トイズだったけど今はVapにいるのか。

あと、ちょっと毛色が違うんですが「叫ぶ詩人の会」という方がいらっしゃいましたね。深夜番組とかにも出ていた気がする。ちょっとデビューが早くて1990年代前半からリリースしています。これはインパクトありました。

そういえばTha Blue HerbとかMorohaとか好きになったけれど、原型はここなのかもなぁ。すごく久しぶりに聞きましたが意外とこの流れを現代に進めているのがmizuirono_inuなんじゃないかと思ったり。

あと、絶叫系は女性もいましたね。全体的な音像はポップなんですが歌い方がやけにヘヴィーというか、叫ぶところではしっかり叫んでいたイメージなのがCocco。Coccoとかはヘヴィーな曲はかなりヘヴィーだったんですよ。

従来の「ロック」の枠がだんだんと激しい音を許容していった、おそらくグランジムーヴメント(1992年~1994年ごろのUSのムーブメント)の影響が日本にも波及して、メインストリーム、特に激しい音楽を好まない普通の音楽ファンもある程度「ディストーションが効いた音像」を受け入れるようになっていったのが90年代後半だった気がします。


90‐00頭 デジタルロック

Mad Cupsule Marketが途中からデジタルな音を取り入れましたが、デジタルを前面に出したバンドも2000年代ごろから増えましたね。

ポリシクスもデジタルロックという意味では衝撃的だった。ニューウェーブな流れで語られがちですが、音源はさておき、けっこうライブが激しかったイメージがあります。

個人的に好きだったのがHAL from Appolo'69。女性ボーカルを冠したユニットでかなり独特な世界観を持っていたんですよね。秘めた暴力性というか。エッジが増したYapoos的な(Yapoosも好きでした)。

あとはどこに入れるか難しいですが、ボアダムス。ミクスチャーなのかな。


90‐00頭 ガレージロック

この頃、なんだか無骨なロックも流行りましたね。一番商業的にも成功したのはThee Michelle Gun Elephantだったと思います。考えてみたらTMGEのデビューって1996年で、White StripeやStroksより前なのか。グランジ直結だったんですかね。

個人的に記憶に残っているのがギターウルフ。とにかく爆音でノイジー。曲より音響で印象に残っている。こういう音を聞いていました。

ちょっとガレージリバイバルとは違いますが、サーフコースターズもいましたね。ムーンライダースの鈴木慶一さんが審査員だったNHK BSのゑびす温泉で勝ち抜いたバンド。僕はイカ天には出遅れ、ゑびす温泉を観ていたんですよ。ベンチャーズ+スラッシュ的なバンド。


90‐00頭 K-POPとラウドロックの意外な関係

当時はK-POPという言葉はなくて、単純に「韓国音楽」だった。まだワールドミュージックだったころのK-POPです。今はダンスポップ=K-POPですが、当時はそういうくくりはまだなかった(K-POPが確立するのは10年代ぐらい?)。日本で活動する韓国人歌手(BoAとか東方神起とか)はいたけれど、基本的に日本語でした。

だけれど、実はK-POPの元祖と言われているSeo Taijiはラウドロックの人なんですよね。

K-POPの元型とされるころ

もともとSeo Taijiは韓国のヘヴィメタルバンド、シナウィのベーシストで、最初からヒップホップにギターリフを入れたミクスチャー的な音楽をやっていた。

こちらは2004年の曲ですが、めちゃくちゃ「ラウドロック」ですよね。

最近のK-POPの曲、LE SSERAFIMとかBlackpinkとかはディストーションギターやグロウルこそないものの曲構成にラウドロック的なものがあるのはSeo TaijiのDNAなのかも。以前も「K-POP=プログレ」的な記事を書きましたが、プログレ的ですからねラウドロック。

90年代後半~00年代初頭のK-POP(いわゆる「韓流ブーム」の前)についてはまた別途記事を書こうと思います。


思い返すと90年代後半~00年代初頭は自分のアルバムを作っていた時期で、たくさんの音楽を聴いていましたね。この辺りのバンドの音が出したかった。

でも、90年代後半は改めて今振り返るとめちゃくちゃ日本で面白いバンドがたくさん出てきていましたね。もっと当時ライブ行っておけばよかった。

今回「ラウドロック史」が出たことでこの後の流れを追うことができそうです。最近は音源を知らずライブだけ見たことがあるバンドがちらほらありますね。いろいろなバンドをこれから聞いていくつもり。

それでは良いミュージックライフを。

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