連載:メタル史 1982年①Accept / Restless and Wild
1981年に続いてドイツのAccept。前作「Breaker」から1年を経てリリースされた4作目のアルバムです。なお、ヨーロッパでのリリースは1982年ですがUKとUSでは1983年にリリース。今回は先にリリースされた1982年で取り上げます。なお、ジャケットが二種類あり、上記はもともとドイツ国内盤のジャケット。現在の再発盤やストリーミングなどはこちらに統一されているようです。
前作からのラインナップ変更点はツインギタリストの片割れだったヨルグ・フィッシャーがアルバム制作前に脱退。本作はもう一人のギタリスト、ウルフ・ホフマンが全編で演奏しています。一人ツインリード。リリース時には次のギタリストであるヘルマン・フランクが加入。なのでジャケットやクレジットは5人編成ですが、加入したのは録音後なので実際の演奏はすべてホフマン。
後は、バンドの女性マネージャー(前作「Breaker」時からAcceptのマネージャーに)であるギャビー・ハウケが作詞家としてクレジットされるようになります。作詞家としてのペンネームが「デフィー」。Acceptのアルバムを見るとデフィーのクレジットが散見されますが、これは女性マネージャーです。ハウケは後にウルフ・ホフマンと結婚し、ギャビー・ホフマンに。2019年にマネージャー業から引退しますが、それまでAccpetのマネジメント実務を取り仕切ることになります。
実際、バンドの運営に関する方針はマネージャーの発言権が大きかったのだと思います。この後、Acceptは数奇なメンバーチェンジを経ていくのですが、それは彼女の存在が大きかったのかも。それはまたこの後のAcceptのアルバムを取り上げるときに触れたいと思います。
なお、実はヨルグ・フィッシャーが脱退し、ヘルマン・フランクが加入するまでの間、短期間ですがヤン・ケメックというギタリストが在籍していました。ケメックはその後もギタリストとして活躍していくのですが、デザイナーとしても才能を発揮し、さまざまなドイツの大学で教鞭を取ったり、デザイン会社を経営して国際賞を受賞したりしていたようです。今はミュージカルのプロデュースもしている様子。1980年のベルリンにおいて、Acceptはそうしたクリエイティブな若者たちのネットワークの中に存在していたのでしょう。
1982年のドイツは冷戦の真っただ中。ベルリンの壁で分断され、戦争の爪痕が目の前に残っていた時代です。1980年初頭のドイツはオイルショックの影響から立ち直る途上にあり、1982年は経済成長率もマイナスです。経済的に厳しい時代で、失業率も高い。
この当時のドイツの音楽シーンはUKに近く、ポストパンク/ニューウェーブやHR/HMがヒットしています。
本作のプロデューサーはバンド自身。セルフプロデュース作です。録音とエンジニアは前作に続いてウドの元バンドメイトであるマイケル・ワグナーが担当。世界初のスピードメタルソングとも言われる「Fast As A Shark」を収録しています。本作はドイツだけでなく、UK、スウェーデン、オランダでもチャートイン。活躍の場をドイツだけでなく近隣国へと広げていきます。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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