連載:メタル史 1980年⑥Ozzy Osbourne / Blizzard of Ozz
Black Sabbathを脱退したOzzy Osbourneもソロキャリアをスタートし、本作がソロデビューアルバム。最初は「Blizzard Of Ozz」というバンドとして活動する話もあったらしく、バンド名候補が結局ソロデビューするときのアルバムタイトルとして使われました。後任にロニージェイムズディオを迎えたBlack Sabbathと同じ1980年に活動を再開。Ozzyは新たなるギターヒーロー、ランディローズと共にシーンに復帰します。なお、このソロデビューを主導したのはシャロン・アーデン。後にオジーの妻となるシャロンは父ドン・アーデン(当時Black Sabbathのマネージャーだった)の命でオジーのソロデビューに尽力します。ちなみにドンが考えたバンド名は「Son Of Sabbath」だったそう。この名前にならなくて良かったなぁと思います。
ランディローズはもともとUSのQuiet Riotの創設メンバーで、ちょうどQuiet Riotが人間関係でごたついているときにオジーの新バンドのオーディションに誘われます。当初は自分のバンドを続けるつもりだったけれどあまりにしつこく誘われたので仕方なく参加。ここでオジーは「オーディションで会った瞬間に決めた」と言っていましたが、実のところオーディションの日は酔い潰れていてローズとは会わずに終わってしまったそう。オーディションはUSで行われ、その後オジーはイギリスに帰国。元Rainbowのベーシストであるボブ・ディズリーと共にアルバムの制作を開始したものの、当初予定していたギタリストが何らかの理由で離脱。そこでオジーがローズのことを思い出し「彼にしよう」と言い出したそうです。酔い潰れてはいてもローズの音に惹かれるものがあったのでしょう。当時、Quiet Riotもブレイク前で、プロデューサーのドンアーデンは無名のアメリカ人ギタリストを起用することに難色を示したそうですがオジーの意向でローズが加入。元Uriah Heepのドラマーであったリーカースレイクも参加し、本作が生まれました。
なお、後にディズリーとカースレイクは印税未払いでオジー側とトラブルになり、2002年に再発される際に当時のオジーオズボーンバンドのメンバーによって再録されています。ただ、その後和解し、2020年(今ストリーミングで配信されているのはこのバージョン)のものではオリジナルの1980年のものに戻っています。
このあたりの話は上述した「最初はBlizzard Of Ozzというバンドの予定だった」ことも関係している様子。いつのまにかオジーのソロの名前の方が大きくなっていき、1981年にはローズも一時期脱退を考えたそうです。確かに、ソロ歌手のバックバンドなのか、バンドのメンバーの一つなのかは問題だったのでしょう。このあたりの個人名なのかバンド名なのか問題は(似たような立ち位置である)後のDioにも出てきます。結局、Ozzy Osbourneはバンドではなくソロキャリアを確立していくことになり、40年以上にわたり活動を継続。Ozzy Osbourne Bandからはあまたの名プレイヤーが巣立っていくことになります。
本作は最初はプロデューサーとしてクリス・タンガリーティス(Thin Lizzy、Gary Moore、Judas Priest他を手掛けた名プロデューサー)が関わっていましたが満足のいく結果が得られず結局はバンドメンバー4人がセルフプロデュースすることに。Ozzyのソロキャリアの中でももっともバンドらしい作品になりました。ランディローズのクラシックギターの素養がありつつもアメリカ人らしいおおらかさと派手さもあるプレイは特異で、それまでOzzyが歌ってきたBlack Sabbathの作品とは毛色の違う名作となりました。なお、ロニージェイムスディオもアメリカ人なんですよね。奇しくもBlack SabbathもOzzy Osbourneもそれまで英国人だけのメンバーでやってきて、互いに1980年にアメリカ人と組んで作品を作ったという面白さ。やはり音のトレンドが違うので、本作はUKとUSのまじりあった面白いサウンドになっています。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
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