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連載:メタル史 1981年⑥Riot / Fire Down Under
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US出身のRiot。本連載では初のUSのバンド、初のUK以外のバンドですね。1975年にNYでギタリストのマーク・リアリによって結成され、1stアルバムRock City(1977)でデビュー。このアルバムは日本でもヒットし、収録されたWarrior(邦題:幻の叫び)は日本のアイドル五十嵐夕紀によって「バイ・バイ・ボーイ」というタイトルで日本語カバーされたりもしました。日本でヒットしたことに気をよくしたのか次作はタイトルが「NARITA(1979)」その名の通り成田空港闘争をテーマにしたタイトル曲を含み、日本では一定の人気を誇りました。USのバンドなのに英語版wikiより日本語wikiの方が充実している稀有なバンド。
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出典
本作はそんな彼らの3作目で、UKで勃興したN.W.O.B.H.M.に感化されたのか荒々しさと疾走感が増した音作りになっています。それまでは70年代ハードロック色が強かった音作りが一気にヘヴィ・メタルと呼ばれる音像に近づく。こうした変化はUSのいくつかのバンドで起こり、特に若手バンドで変化は顕著でした。伊藤政則氏に”西のY&T、東のRODS”と呼ばれたY&Tはメタリックな名曲Hurricaneを収録したEarthshaker(1981)をリリースし、RODSもデビューアルバムThe Rods(1981)をリリースします。そんな1981年のUSの新世代メタルバンドの中で頭一つ抜けた完成度だったのがRiotのこのアルバム。
実はRiotはRock Cityのリリース後、USでAC/DCやモリーハチェット(人気のサザンロックバンド)のサポートでツアーを回るもののあまり成功できず、日本での局地的な成功はあったものの1979年までには解散の危機に瀕します。ただ、彼らのサウンドがUK、N.W.O.B.H.M.の立役者の一人であるDJ、ニール・ケイの耳に止まりラジオでオンエア、UKでの知名度が高まることになります。UKと日本での人気に気を取り直したバンドは2ndアルバム「NARITA」をリリース。そしてサミーヘイガーのサポートでツアーに出ます。ツアーは成功させたもののアルバムの売り上げは期待に届かず、ツアー後にキャピトルレコードから解雇を言い渡されます。
Riotのマネージャーたちはキャピトルから得た資金の残りをNARITAのプロモーションに投下、インディーズラジオ局のオンエアを大量に勝ち取り、なんとか次のアルバムの制作につなげます。そうして作られたのが本作「Fire Down Under」。起死回生を図ったアルバムですが、当初キャピトルは「これでは売れない」とリリースを拒否しました。US市場に向けてだとしたらヘヴィすぎる、と。ただ、その時点で契約解除も行われなかったためバンドとアルバムは契約的に宙ぶらりんになってしまいます。
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出演バンドはレインボー、ジューダス・プリースト、スコーピオンズ、エイプリル・ワイン、サクソン、ライオット、タッチ
この状況に英国EMI(キャピトルレコードの親会社)にファンたちがアルバム発売の嘆願書を送るほどの事態に。英国では1980年の第一回モンスターズ・オブ・ロック(現在のダウンロードフェスティバル)に出演するほど人気が出ていたので注目されていました。ただ、この嘆願書が余計事態をややこしくした(アルバムは出さないけど人気はありそうだから契約は解除しないでおこう)とのこと。詳しくはこちらの記事(→外部リンク)の後半に書かれています。
結局、当時は新進気鋭のレーベルであったエレクトラレコードが手を上げ、キャピトルレコードと合意してエレクトラ(日本ではビクター)からアルバムがリリースされることになります。そんな難産だった本作は初のビルボードチャート入り(最高99位、累計売上50万枚以上)を果たし、Riotの全カタログの中でもっともUSで成功したアルバムとなります。
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現在に至るまで様々なジョニーがジャケットで描かれています
ちなみに、表紙の頭がアザラシ、体が人間というキャラクターは「ジョニー」という名前であり、Riotの初期のジャケットに共通して出てきます。
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本作のプロデューサーはスティーヴ・ローブとビリー・アーネル。彼らは独立系レーベルとスタジオのオーナーであり、この当時のRiotのマネージャーでもありました。マーケティングからレコード会社との交渉からプロデュースまで、彼らが奮闘してリリースまでこぎつけたアルバムとも言えるでしょう。本作は80年代初頭のヘヴィ・メタル史に残る名盤であり、"Swords And Tequila"は、アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスと、メタリカのラーズ・ウルリッヒによって名曲として賞賛されています。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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