連載:メタル史 1980年⑩Def Leppard / On Through The Night
N.W.O.B.H.M.のリーダー的存在として現れ、ある意味でN.W.O.B.H.M.の終焉を告げた存在であるDef Leppardのデビューアルバム。80年代のUSでの人気は凄まじく、本作も累計すればUSだけでプラチナム(100万枚以上)の売り上げを上げています。リリース当時もヒットしたもののそこまで大ヒットしたわけではないので、あとからの再評価。
Def Leppardは1976年にUK、シェフィールドで結成。いくつかのメンバーチェンジを経てメンバーが安定し、本作リリース時のラインナップはリック・サベージ(Ba)、ジョー・エリオット(Vo)、リック・アレン(Dr)にスティーヴ・クラークとピート・ウィリスの二人のギタリスト。ツインギター体制のバンドです。もともとのバンド名はエリオットが考えた「Deaf Leopard(耳が聞こえない豹)」だったそうですが、パンクバンドっぽく聞こえるということで綴りを少しいじってDef Leppardに。
バンドの年齢が若く、デビュー時はみな20歳か21歳、リックアレンに至っては17歳。Saxonから見ると9歳ぐらい下です。Iron Maidenと比べても3-4歳若め。N.W.O.B.H.M.の中でも早熟、若くしてデビューしたバンドです。1978年に録音した3曲入りのEP「Def Leppard EP」収録曲の「Getcha Rocks Off」がBBCのパンク・ニューウェーブ関連の権威とされていたDJジョン・ピールによって長時間エアプレイされ、一気に知名度を高めます。当時はロック系がラジオから流れることは少なく、一部の番組やDJが大きな影響力を持っていました。ストリーミングはおろかインターネットもないので、基本的に新しい音源に触れるのはラジオかTVのトップオンポップス(音楽番組)ぐらい。そのチャンスを20歳になるかならないかのうちに掴みます。
↓ジョンピールによるオンエア、「シェフィールドのバンドで、綴りはDEFで、レッドツェッペリン風の…」みたいな説明(聴きとりなので曖昧です)をした後、曲の終わりには「新しいヘヴィメタルバンドだ」みたいな説明をしています。
そして1979年、フォノグラムと契約を獲得。また、この頃に自分たちでやとっていたマネージャーとエリオットが喧嘩になり解雇。よりプロフェッショナルなマネージャーとの契約を結びます。けっこうN.W.O.B.H.M.のバンドはマネジメントがしっかりしていなくて成功できなかったバンドも多い。基本的にマネジメントは自分たちで見つけるので、最初はバンドの周辺の誰かを選ぶことが多いようですね。その人が一緒に成長していければよいけれど、マネジメント経験がないとレーベルとの契約などバンドの活動規模が大きくなってくると難しくなる。プロフェッショナルな経験があるマネジメントをいち早く獲得できるか、切り替えられるかというのはバンドにとって重要な要因なのだとこの頃のバンドの歴史を見直してみると改めて思います。
こうしてDef Leppardは「ラジオでのエアプレイ」「レーベルとの契約」「プロフェッショナルなマネジメント」を得た状態で本作のレコーディングに入ります。プロデューサーはトム・アロム。Judas Priestと80年代を通してタッグを組んだ名プロデューサーですね。
実のところDef Leppardはバンド自身はN.W.O.B.H.M.の括りに入れらることを否定しています。それは彼らの成長を見るとN.W.O.B.H.M.の他のバンドとは違う方向性に向かっていくので確かになぁと思いますが、少なくともこのアルバムリリース時では「N.W.O.B.H.M.の中の若手有望株」といった形で扱われていたのでしょう。上のラジオでジョンピールも「ヘヴィメタル」として紹介していたし。1979年当時に出てきたヘヴィメタルバンドならそれすなわちN.W.O.B.H.M.。とはいえN.W.O.B.H.M.の他のバンドと比べると年齢も少し若めなこともあってか人事的交流もあまりなく(他のバンドは結構互いにメンバーが入れ替わったりしている)、独自の路線を進んでいきます。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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