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日本の夏と『サザン』と

タイトルはとあるアーティストのベスト盤オマージュです

こんな本も出ますし
もう今年も夏なので
少し自分なりに・・・


『ダサい』とか『古い』じゃない感覚

40年以上時代の最先端にいるアーティストです。
「劣化」とか「流行」とか
様々な声が聞こえてきますね
例えば10年前の曲でも古く聞こえるアーティストもいます
そんななかで、様々な楽曲を世の中に発表して
世間に受け入れられている
そういった「文化」に近い感覚なんですね
その裏側には
様々な否定批判があるといった事も事実です。
ただ、「議論になる」ということは
それだけ認知されている
ということです。

最近ですと某アーティストのPVが炎上をしていましたが
仮に全く無名のバンドがやっていたことだったら
ネット界隈で炎上をして終わるんです
それこそ朝の情報番組では取り扱わないでしょうし
アイドルグループのメンバーが卒業という話題も
そのアイドルグループが有名だから取り扱われてます。

実際「サザンオールスターズ」という「文化」に
1秒でも触れたことはあると思います。
それは、CDを借りたとかでなくとも
「CMタイアップ」「ドラマ主題歌」「音楽番組」「旅番組」
誰かがカラオケで歌っていたとかもそうですし
カーステレオから流れてきたもそうですね
そうやって40年以上に渡って続けてきたからこそ
「文化」になっていくわけです。

誰にでも当てはまる『世界観』

1つの楽曲として考えると
「音+歌詞」で成立するものです。
ここでは「歌詞」に注目してたいと思います。

優しさをありがとう
キミに惚れちゃったよ
立場があるから
口に出せないけど
居酒屋の小部屋で
酔ったフリしてさ
足が触れたのは故意(わざと)だよ

サザンオールスターズ「栄光の男」より抜粋

歌詞の情景描写
「立場がある」ということは
関係性的には「上司・部下」「先輩・後輩」
そういったところでしょうか。
でもその相手の人が「好き」なんでしょうね
居酒屋の掘りごたつ席で
足が触れたんですね
「わざと」ですけどね
言えない感情ってありますよね。
(多分男性諸氏には同じような感覚あるよね)

果てなく続く長い旅路も
やがては終わる時が来るだろう
愛しい人の手を握りしめ
笑いながら眼を閉じたい

サザンオールスターズ「からっぽのブルース」より抜粋

これは完全に最後の瞬間ですね
人生最後の時に
パートナーなのかわかりませんが
「楽しかったね」って言って
笑顔で死んでみたいですね・・・

と、2曲だけ挙げてみましたが
殆どの曲に「歌詞の世界」があって
そこに架空の登場人物がいます
その登場人物と自分がリンクしたときに
本当の「歌詞の世界」が見えてくるものだと思ってます。
サザンオールスターズに限らず
この世代のアーティストに関しては
そういった楽曲が多いですね
今のアーティストみたいに
「語感」で作った内容の無い歌詞じゃないと思ってます。

『失恋』と『雨』

これも前項の『世界観』から続いていくのですが
俗にいう「恋愛ソング」って失恋の方がいい曲が多いと思ってます。
山崎まさよし「One more time,One more chance」
プリンセスプリンセス「M」
等々・・・
本当に名曲多いよね
ラヴ・イズ・オーヴァーもそうですね

さて、「失恋」をどう伝えるか
これって凄い難しい話で
桑田佳祐は「雨」を用いて説明しているように感じます
余談ですが桑田佳祐は雨男で有名です。

悲しくて酔えないこともある
涙を浮かべた水割りのせいだよ
今宵こそ濡れたい雨の中
口づけを交わした傘はなく
ひとり泣いた嗚呼夜です

サザンオールスターズ「SEA SIDE WOMAN BLUES」より抜粋

この曲はサザンの中でもかなり好きな方な曲です。
前後の歌詞がなくとも
「ああ失恋してるな」って思います。
それを「雨」で表現しているわけです。

「さよなら」とか言わなくても
「傘はない」とか置き換えることで
聞き手に対して余白をつくり
様々な解釈ができる
だからこそ、曲が「古くならない」
そんな気がしています。

『大衆音楽』の終焉

「多様性」が叫ばれる世の中となって
そもそも音楽自体が「個人で楽しむ」モノとなったので
恐らく本当の意味で「国民的」とつくアーティストって
今トップを走り続けている人達で終わりでしょう。

偽りの「国民的」アーティストは今でもいっぱいいますね
流行ってる感を出して
大きな箱でライブやって
マスメディアに取り上げられて・・・
K-POPアーティストなんてほぼそれだと思ってます。
顔出しをしない人達も然り

昭和から歌い継がれている曲
-例えばちあきなおみ「喝采」のような-
そういった曲ってあと何曲後世に歌い継がれていくのかな
と思ってます。
恐らく「平成」で考えていくと
SMAP「夜空ノムコウ」・「世界に一つだけの花」
森山直太朗「さくら」
ゆず「栄光の架橋」
そういった曲になるのでしょうか??

ただの『文章』じゃねぇかこんなもん!

とても文学的に書いておりますが
自分の言いたいことを言っているダケですし
勿論この文章に対して「賛否両論」あっていいと思います
音楽の解釈
-音楽に限らず嗜好品の解釈-
は受けてが全てです
十人十色でいいと思います。

さて、サザンの話題があると名前の挙がる
ユーミンこと松任谷由実さんは
インタビューの中で次のように答えています

音楽は“時間をデザインする”ということです。
そこが他の表現と大きく違うところ。私の場合、歌作りは、ある音律にそれしかないという音律を持った言葉を乗せて編んでいきます。
プロットが先に浮かぶこともあります。
大好きな日本語、インターネットの暴力などによって、この先、英語に駆逐されていく運命にある美しい表現、美しい響き…
歌はそれらをより軽やかに鮮やかに、あるときは憂いを含み、雨の匂いや風の色を運んで人々に届き、思い出に刻まれ、無限のストーリーになっていきます。
こうしている今も、世界中で年間に500に近い部族やその言語が失われていっていると聞きます。
歌はそれを口ずさむ人が死に絶えてしまったら消滅します。
そう遠くない未来に私が死んで、私の名前が消え去られても、私の歌だけが詠み人知らずとして残っていくことが私の理想です。

第66回菊池寛賞贈呈式 より

つまり音楽とは
ある一瞬の空間をデザインして
切り取って
後世に伝えていく
そんな感覚なんだと思います。

だから、「サザン」と聞くと
「夏」「湘南」「海」「エロ」
と連想されていきますし
今こうして様々話題になるといった事が
大切な事なのだろうと
私は思います。

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