「祝福、ふたたび」とちょっとした奇跡
「祝福、ふたたび」最終日を終えた家路、こんなメッセージが届いてました。
かつて僕はバンドをやっていて、活動休止してかれこれ5年近く。諸事情あってHPも音源も動画のほとんどもインターネット上からは消す事になったのですが、Facebookページだけは大した情報も載せてなかったので(そしてなんとなく面倒で)そのまま放置していました。どうやら某映画のおかげで検索に引っかかりやすくなっている様子で、最近アクセス増えてるのは知っていたのですが。
ともあれ、僕らの知らない間に遥か海の向こうで、僕らが鳴らした音楽を大事にしてくれてる誰かがいたのです。SNS時代がもたらした、オーストリアから周回遅れのちょっとしたプレゼント。
今展示で特に印象的だった一角。
大槻香奈過去作品をチェキにプリントした「作品」群。
彼女が語る「から」の概念の変遷、何を描こうとし続けているのかを知るガイドラインの如く機能していました。
技法やモチーフが変化しようとも一貫して紡がれる「から」概念の輪郭、そして新作たちを紹介するための強靭な礎、それは新たな試みとして展示されると同時に過去からのギフトでもあります。(「努力」や「積み重ね」などと言うイージーな表現では担いきれない重みがそこに存在するのです。)
日本における「人形」は誰かを祝福するための贈り物でした。
しかし月日が経ち、送り主や持ち主がいなくなった人形たちは「空っぽの依り代」としてそこに存在し続けます。
誰かの、何処かの家の守り神であった人形を描くこと。
それは祝福の祈りが再び息を吹き返すことでもあります。
その祝福は空になってしまった人形たちにも、その作品を目にする我々にも向けられます。「今が空っぽならば、あとは満たすだけ」というクリシェもこの空間に於いては甘美そのものでした。
祝福の送り主は「誰かの幽霊」かもしれず、自分自身であったかもしれません。
(もしくは「誰かの幽霊」と自分自身は不可分でもあり…)
今を突き進むことは決して過去を振り切ることではなく、過去からの接続なしではありえない。
更新され続ける自己と、その土台となる過去、そのどちらをもはっきりと提示した上で浮かび上がる祝祭感覚。
素晴らしい強度を持った展示であり、キャリアのターニングポイントとなるはずで、大槻香奈にとっても重要な展示となったことでしょう。(祝福は作家本人にも、というオチも今回ばかりは許される程に。)
などと今回の展示を反芻していたところ、オーストリアからまさか僕(ら)に対する祝福がやってきたわけです。
タイミングも奇跡的。
過去に真剣に向かい合った音楽が、今になって、未だに誰かの心を揺さぶっていた。涙を押し留める術はなく。あの頃音楽やってて良かった、とやっと思えた瞬間。
「祝福、ふたたび」で過去から接続される今、そしてそこから生まれる祝福について考え続け、その展示が生み出す出会いと、湧き上がる笑顔と多幸感を目の当たりにし続けたら。まさかの。
未来は今現在の先にしかありません。
大槻香奈の次回展覧会と、そしてリニューアルする白白庵をどうぞお楽しみに。
皆さまに何度でも、ささやかな祝福を。
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