白白庵バーチャルツアー・大槻香奈個展「雲と石-2021-」
白白庵にて開催中の大槻香奈個展『雲と石-2021』。
完全アポイントメント制、そして緊急事態宣言下での開催となり来場が叶わないというお声も多数頂戴しています。
今回の展示形式については4月24日配信の白白庵インスタライブでもご説明しておりますが、テキストと画像で再構成してお届け致します。
遠方の皆様、ご来場叶わぬ皆様にも会場の雰囲気をお楽しみ頂ければ幸いです。
まずはエントランス右手。
こちらには今展覧会と同タイトルである「雲と石」シリーズをしつらえています。イントロダクションでありつつメインテーマそのものとして重要な作品であるがゆえに入り口です。
また、この棚の照明がバックライトとなっているため、テクスチャーに特徴のあるクリアな額装を際立たせる意味もあります。
人の心についても同様に、「雲のように移り変わっていく捉えどころのなさ」と、「石のようにかたく決意しぶれないでいること」のふたつの性質を併せ持つものだと考える。(大槻香奈「雲と石-2021」ステートメント)
視線を左手に移すと、「手のなかに山」と「ただまれにある」、そしてそのモデルとなった木ノ戸久仁子作「稀晶石」が佇みます。
この2点の平面作品はあえて少し高めの位置に。
稀晶石モチーフの作品の中で最初に出来上がった作品と会期直前の最後に出来上がった作品とのことです。
大槻香奈のステートメントでは雲と石を心の乖離した状態になぞらえていますが、この二作品に描かれた石は同時に雲のような浮遊感と共に人物を包み、その乖離は「稀晶石」を通じて統合されるかのように見受けられます。
そのまま左手に移動するとこちらの棚に出逢います。
一番上が「光になる」。
この光を中心で受けとめるのは木ノ戸久仁子の「稀晶石花器」。
その左脇には「雲と石-02」。(この作品は額の性質によって光が乱反射します。)
右脇には「腑に集まる」。こちらも稀晶石をモチーフにした作品。『石』の要素が強いがゆえに、逆説的に意志を持って移ろい始める予感を与えます。
そして最上段両橋には「陽の光」シリーズの少し大きめでお花が散りばめられた作品を。最上段は光をたっぷりと受け止めるイメージです。
中断には「陽の光」シリーズを。ここまでは光がたっぷりと届いて暖かく過ごしているような印象を受けます。『雲』の要素が強いエリアです。
私は今回の展示を通して、目には見えない心の在処を解き明かしたいと考えている。(大槻香奈「雲と石-2021」ステートメント)
この展示空間が「心の在処」のメタファーとなりうるのであれば、最上段が光の届く意識の表層、そして下段は深層心理や無意識の領域に近い意味をもちます。左から「浮きいし」「手のなかにふたつ」「心す」どれも抽象的でありながら今回のテーマに対し重要な意味を持ちうる作品としてこの無意識界としての下段から浮かび上がります。
目には見えない心の在処を身体という器の中に実感するのはとても難しい。けれども強制的に身の危険をもたらすものが内側に侵入した時、そこにあるかもしれない「心」の形を確かめられそうな気がしてくる。(大槻香奈「雲と石-2021」ステートメント)
不安が内側に侵入することで、心の形を確かめられるのでは?という発想はキルケゴール的です。
この棚にはコロナ禍をテーマとして2020年春頃から連続して描かれた作品を集めました。
これらの作品は白白庵オンラインショップでご紹介していた旧作ではありますが、心の在処を明らかにするための重要な要素として捉え、『雲と石』というテーマと交えて多くを展示しています。
大槻香奈が近年取り組んできた作品の延長に『雲と石』があり、そして『雲と石』によって逆照射されることで過去作の意味もより明確に浮かび上がるような構成としました。
1階エントランスギャラリー、中央の机には「雲と石」シリーズと作品と稀晶石の欠片によるしつらえが展開されます。
それぞれは小さなドローイング作品ですが、『石』がかつては『山』という大きな存在の一部であったことを想起させる作品群です。
「雲と石-05」の置かれたミラーにはモチーフが反転して山が浮かび上がり、それに連なるように番台の奥には過去作「気配の行方」が視界に入ります。石であると同時に山でもあるこの作品から転がった欠片が中央の机に辿りついたのかもしれません。
陶芸の手法により石が人工的に作られることによって「自然」と「意志」、両極端なふたつの領域をひとつの物質の中に持ち合わせる『稀晶石』は、私の考える心の性質である『雲と石』を体現しているように思えたのだ。(大槻香奈「雲と石-2021」ステートメント)
石は人の意志を受け止める器である。
かたく決意しぶれないこと、勇気を持つ人の心をそこにみる。
でも留まるだけではなく、転がることも知っている。
(大槻香奈「雲と石-2021-」白白庵オンラインショップ「石」ページ)
こちらは『石』を強く感じさせる棚です。
直接的なモチーフとして描かれていなくとも稀晶石と結びつくことで留まるものとしての意志が浮かび上がります。
結ぶ『紐』も重要なモチーフです。
中央に位置する「解いて結ぶ」は『雲と石』の次を指し示すように見えます。「産む」を意味する「ムスヒ」から繋がる「結ぶ」「紐」は『雲と石』の先に繋がるものかもしれません。
人数が多いエリアです。
集合させられた人形も少女たちも『から』の、うつわとしての存在です。
うつわの数だけそこに込められる意志があります。集合として見ることで一旦は消失する個別性ですが、同じ個体は存在しません。会場全体の構成からすると、個人が抱えるペルソナの集合として見ることも可能でしょう。
「人形感謝祭」の手前に位置する「薄明」は今回の新作で唯一の抽象画ですが、両作品が類似した色彩となっている点が示唆的です。
作品同士の関係性によって、個々の作品に対して大槻香奈が描いた意図とは異なるレイヤーの意味性も立ち現れます。
茶室に向かう露路の入り口脇に浮遊する「空にまる」。
夕方にはこの子達と同じ角度で自然光が差し込みます。
会場全体が心の形であるならば、白白庵の茶室は心の聖域に相当するのでしょう。
正面の床に掛けられた「気配の行方」、心の奥に潜む元型としてのグレート・マザーを想起させます。その背後には『家』が描かれ、更に奥にある器を守るようです。
亭主床には、正面の床に対置しつつ関連する裏コードが奏でられます。
人形は家の中を守るものとしてのシンボルとして、家の外を守る「気配の行方」と対となります。
この作品「はじめてのお日様」では人形供養の前に家の外に出され陽の光を浴びている人形が描かれており、守り"留まるもの"と役目を終えて"移ろうもの"としての『雲と石』のテーマがここでもリフレインされています。
白白庵2階に上がります。
階段登ってすぐに「変身したいのに」が目に入ります。
上へと登ることで心の奥から意識の表層へと移動する、切り替えのスイッチとして位置しています。
その隣に連なるは木ノ戸久仁子作の抹茶碗と「物語になりきれないものたちへ」。
白白庵の2階では主に常設作品を展示しています。このエリアではより多くの他者の作品の中に大槻香奈作品が交わります。
白白庵2階のメインビジュアルとしてこの「暇を描く」が展示されています。
照明が上下から挟み込む形になっており、この作品が醸す”画面の向こう側の他者”というイメージをより強調しています。
石田慎の切子硝子作品と、木ノ戸久仁子の抹茶碗の色彩が「暇を描く」とシンクロしています。白白庵ならではの景色です。
「からこいる」の脇には3階に繋がる階段があります。
以前は展示会場となっていましたが、現在はコロナ禍の影響でクローズしています。
かつてこの3階で開催された企画展で初登場となった作品。
再び白白庵会場の全てをオープンできる未来に繋がるように、という個人的な祈りを込めてここに展示しています。
今回、作品の中に心そのものは存在しない。心は鑑賞者の中にあるもので、私が作るのは、心が存在する場所に触れることができる装置としての絵画だ。「身体の器」の中にある「心の器」、「から」の中に存在する新たな「から」との出会いを表現する。いずれ移ろいゆくことを知っていて、それでも現状そこに留まっている「心」について、いま絵画を通して触れることができたのなら、とても幸いに思う。
(大槻香奈「雲と石-2021」ステートメント)
『雲と石-2021-』会場はステートメントのこの部分を強く受け止めて作り上げました。"心が存在する場所に触れることができる装置”をどう機能させるのか?白白庵は何をすべきか?その問いはオンラインでも会場でも同じです。
展示の仕方によって指し示した意図や暗喩、そしてこのテキストに書かれた視点はあくまでも一例です。
大槻香奈作品を通じて、それぞれの道のりで誰しもが異なる心の形に触れて頂ければ幸いです。
白白庵 マネージャー
青山泰文
白白庵 オンライン+アポイントメント企画
大槻 香奈 個展
『雲と石 -2021-』
会期:2021年4月24日(土)午前11時~5月5日(水)午後7時
会場:白白庵1階エントランスギャラリー
オンラインショップ特設ページ
*ご来場は完全アポイント制となっております。
白白庵各公式SNSへのメッセージもしくは店頭TEL:03-3402-3021までお問い合わせください。