
イタリアでテスラをインキーした話③
翌日の興奮とタイムリミット
翌朝、非常に疲れていて不安もありましたが、意外とぐっすり眠れました。
車がレッカー移動された保管場所は、ローマ市内から少し離れたところにあり、地下鉄とバスを乗り継いで向かうことになりました。前日に助けていただいた日本人の方とは現地で待ち合わせをすることに。
車でローマまで来たにもかかわらず、地下鉄やバスを利用しているという状況はなんとも不思議な感覚でした。しかし、ローマの日常を体験できたことで、「これはこれでいい経験かもしれないな」と少しだけ前向きに思えました。
レッカー先到着と迫るタイムリミット
レッカー保管場所に到着しましたが、ここで一つ問題がありました。この日の夜21時にミラノ発パリ行きのフライトを予約していたのです。ミラノまでは充電時間を含めて約8時間かかるため、午前中のうちに車を取り戻さなければ間に合いません。
レンタカー会社が営業を開始し、前日に助けていただいた方と合流して、改めて状況説明を始めました。しかしまたしても一から経緯を説明する羽目になり、別の電話番号を案内されるだけで進展がありません。同じことの繰り返しに、再び不安が募りました。
ようやく電話越しに「遠隔で鍵を解除する」と言われ、一瞬希望が見えました。しかし待っても待っても解除はされません。再び電話をかけ直すと、今度は「テクニコ(日本で言うJAFのような自動車サービススタッフ)を呼ぶ」ということになり、1時間ほど待つことになりました。
期待を裏切られたテクニコの対応
待つこと1時間。ようやくボロボロの黄色いバンに乗ったおじさんが現れました。おじさんはテスラの前面にある電線の接続部にバッテリーをつなげてみただけで、「これは私には無理だね」と一言残し、出張費として100ユーロ(約16,000円)を請求してきました。
ほとんど何もしてくれなかったので納得はいきませんでしたが、支払わざるを得ませんでした。この旅で最も謎な出費です。
テクニコに何も解決してもらえず、また振り出しに戻ってしまいました。このままでは何も進まないと考え、日本人の方が知っている「日本が大好きなイタリア人女性」を紹介してもらうことになりました。
新たな助けと解決策の模索
その後、お昼ご飯を食べようという話になり、近くのパン屋さんに行きました。しかし、僕も彼女もまだ不安が大きく、食欲がまったくありませんでした。結局、何も食べられずに終わってしまいました。
日本人の方と相談している中で、僕は「いっそミラノまで行ってスペアキーをもらって帰ってきたらどうでしょうか」と提案しました。しかし、日本人の方は「これ以上お金を使う必要はないよ」と言ってくれました。その優しさに心が動かされ、感動して泣きそうになりました。
昨日出会ったばかりの方に、ここまで親切にしていただけるなんて、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。
ようやく道が開ける
その後、紹介してもらったイタリア人女性の方の家を訪れ、これまでの経緯を説明しました。そして、レンタカー会社「ユーロカー」のローマ支店へ行き、支店スタッフに直接説明してもらうことにしました。
現地のスタッフがどこかへ電話をかけ、イタリア語が飛び交う中、メモを取っているのが見えました。イタリア人女性が「これで解決するはず」と伝えてくれましたが、ここまでで同じような場面を6回ほど経験していたため、正直もう期待はできませんでした。
感動の瞬間
ユーロカーの支店からレッカー先に再び移動し、レンタカー会社に電話をかけると、パッパッと音が鳴り響き、ついに車の鍵が開きました。
その瞬間、彼女は涙を流し、僕も感動で胸がいっぱいになりました。ようやく長い戦いが終わったのです。
助けていただいた日本人の男性とイタリア人の女性に感謝を伝え、「また日本に来た時や、僕たちが再びイタリアを訪れた際には、ぜひお会いしましょう」とお話しました。
予定変更とローマ観光
その時点で現地時間は14時を過ぎており、すでにパリ行きの飛行機には間に合いませんでした。仕方なく予定を1日延ばし、ローマ観光をすることにしました。コロッセオやバチカン市国などを巡り、思い切りローマを満喫した後、ミラノへ戻りました。
感覚的には何日も経過しているように感じましたが、実際には約18時間で問題が解決しました。途中で多くの方に助けていただいたおかげで、イタリアでの短い時間も思い出深いものとなりました。
恩返しの決意
今回の旅を通して、困ったときに人から助けてもらうことの大切さとありがたさを強く感じました。今後、もし困っている方に出会った時には、今回いただいた恩を返していきたいと思います。
ローマやミラノは本当に素晴らしい都市で、また時間を作ってゆっくり訪れたいと考えています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また新たな記事でお会いできれば幸いです。