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感情の消えた夜 - 境界線 Ⅶ

社会人になって初めての夏

この年は湿度も高くとにかく暑くて、決して快適だったとはいえなかった。
それに学生の頃の様に大きな休みがあるわけでもなかったし、大きな楽しみや華やかなイベントがあるわけでもなかったけれど、私はなんだか初めて心の中が溢れそうなくらい満ちた日々を過ごした気がする。

私と彼がゆっくり合うのは金曜日の夜から遅くても土曜の昼くらいまでだけだったけれど、やっと仕事に慣れてきた私にとってはそのくらいで丁度いいのかなと思っていし、マスターに促されて最近では時折2人で行った事のない場所にも行く様になっていたのが内心嬉しかったりもした。

ある台風が通過しようとしていた金曜から土曜にかけて、彼と私は珍しく一緒に過ごすことをやめた。

何か深いわけがあったとか喧嘩したとか、そういうわけではなかったのだけれど、天気がどうなるかもわからないし単純に今日はやめてお互い家に直帰しようと言われたものだから、私はどうせ泊まるのだし一緒にいたいなとも思っていたけれど、たまにはいつも一緒にいる時間を別々に過ごすのも新鮮かもしれないという僅かな好奇心で特に何も言わずうなずいてバーから家へ帰った気がする。

少し寂しい気持ちと、なんだかどきどきする気持ちと、少し怖い様な色んな感情が入り混じりながら。

けれど思った以上に浮き足立って私は1人家に帰った。

扉を開けて寝る支度をした私は、思い返せばこのところ休日1人の時も仕事で覚えないといけない事か彼が今何をしているのだろうとか、そういった事をいっぱいに巡らすだけで前まで読んでいた本を観たり、好きな音楽を聴いてぼーっと自分の事を考える時間を作っていなかったなとぼんやり思って彼と出会わなかった時間を擬似的に過ごしてみようと試みようとこの所引き出しや押し入れにしまいっぱなしだったものを引き出してたのである。

ああ、学生の頃はこんな音楽を聴きながらこんな本を観ていたなとか、こんな映画好きだったなとか大して長く生きているわけではないけど、たまには過去を振り返ったりこれもこれでいいな。なんて思いながら時計の秒針の音が流れて次第に少しずつ風と雨の音が強くなっていった。
それなりに楽しめたし、そんなに色々考えることがあるわけでもないしもう今日は眠ってしまおう。そう思って布団に入って目を閉じることにした。

今日は完全に1人の時間を満喫できたなと満足げに目を閉じたのだけれど、その途端に私の胸はぎゅっと縮まり瞼の内側でちかちかと光る様なものの先にうっすら煙の様なものが浮かんで急に目の奥が熱くなった。

いつもと違う今日を正当化しようと頑張ってみたけれど私はやっぱり彼と共にこの夜を過ごしたかったのだろう。

もうその頃には難しくてよく分からない話に熱くなっている時以外は気怠くて味気ない言葉しかかけてくれない無駄に気難しい彼だけれど、それすらも愛おしく感じほどまでになっていたのだ。

ゆっくり2人で一緒にいれるのは一週間のほんの一瞬だし、彼はなんだかいつか消えてしまう様に思っていたから好きではあったけれど、私はそんなに依存するほど惹かれているとは思っていなかったのだけど。

静けさと共に現れ全てを巻き込んみ
私の心だけを置き去りにして
台風の如く駆け抜けてゆくのだろうか

虫の歌声が変わり
外気が下がりゆく中
体の内側は火照りを増す

微かに漂う秋の香りと共に

感情の消えた夜 - 境界線 Ⅶ  - アルバム下書スケッチ

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