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響き渡るは豚の鳴き声
「・・・ぉーい、おおうい、ここだ、ここだ、おおい、ここ、ここここ」。
僕にそう声を掛けてきたのは六条おじさんだった。
後で聞いてみたところ、
おじさんは近くにいるなら誰でもよかったらしいので
厳密には僕に声を掛けてきたというのは少し違う。
六条おじさん。
それが六条の河原での出来事だったから
僕が勝手にそう呼んでいるだけで本名は知らない。
会話をするようになった今でも
改めて名前を聞くのは何となく気恥ずかしい感じがしてそのままそう呼んでいる。
本人は何も言わないので案外気に入っているのかもしれない。
「おおい、ここだここ、ここ、ここ、ここここ」。
声はすれども姿は見えず。
辺りを見回しても誰もいないのだが、呼び声は変わらず続く。
その声のする方に注意深く耳を向けていくと
どうやら川側、足元の方から聞こえてくるようだ。
歩道から外れて小さな坂を降りてみると、そこから数歩のところの草むらの中に
大きめの石、というか小さめの岩があった。
「ここ、そう、それそれ、そうそうそうそう」。
少しでも落ち着いて考えていたら、
この河原ではちょっと見ないサイズのもので
いかにも不自然だと分かったはずなのにこの時は気付かなかった。
「そう、そう、そう、そう」。
岩は思ったよりもはるかに軽く
特に工夫もなく押しただけで簡単に動いた。
ずらしたらおじさんが埋まっていた。
間違いではない。
ずらしたら、
おじさんが、
埋まっていた。
顔の表面だけを残しあとは全部埋まっていたのだ。
工事をしていた様子でもない。
埋められた?誰に?なぜ?
あるいは潜っていた?そんなバカな。
とにかく理由は分からないが、石の下で全身みっしりと埋まっていた。
おじさんは満面の笑みで
「いやいや、これはこれは、まったくもって申し訳ない」と言う。
しかしその口調と表情からは申し訳なさというものは微塵も感じられなかった。
一瞬、止めれば良かったかという思いがよぎったものの
その時にはおじさんは既に首の辺りまで出てきていた。
慣れたふうに
「ひっひっふー、ひっひっふー、ひっひっふー」
とリズミカルな呼吸と軽快な頭の振りで着実に地上へ出ようとしている。
そこはかとなく人を不快にさせる所作であった。
このおじさんのザマを見れば何を思ったとしても不謹慎なんて事はないだろう。
僕はその時の幼少期の衝撃的な体験を思い出していた。
あれはおそらく5歳か6歳くらいの頃、
親に連れられて行った千葉県の水族館で目にしたものに戦慄を覚えた。
なんで生えているの⁈
なんで動物なのに生えているの⁈
自分の理解の範疇外にある存在への本能的な恐怖、その記憶。
今、まさにそれを彷彿させる光景が目の前にあるではないか。
遠く鴨川シーワールドはチンアナゴが、
ここ鴨川六条河原ではおじさんが、
地面から生えてしまっている。
奇しくも同じ鴨川。
だとしたら、おじさんはチンアナゴなのだろうか?
いいや、そんな訳はない。
幼少期のトラウマ的な出来事も、いま目の前で起きている事も
つまりは僕の心の受け止め方次第である。
そもそも恐怖や怪奇などというものは人の感情が生み出した幻想に過ぎず
冷静に分析すれば事象としては大したものではないというのが実際のところだ。
ゆえに
チンアナゴは地面から生えていないし、
おじさんはチンアナゴではない。
数刻、肩まで抜けて両腕が自由になったおじさんは、
手のひらを頭の上にもっていき猫の耳のポーズをとった。
次の瞬間、
「オギャーーーッ!」
と一際大きな声をあげたかと思うと、ポーンと勢いよく飛び出してきた。
「噴出」という言葉がこれほどまでに似合う状況は
この先の人生においてきっとないだろう。
「ザ・噴出」からの
意外すぎるしなやかな着地、
同時におじさんの「ニャン」 。
順番的には諸々の疑問だったり驚きや不気味さを覚えるというような情緒が
先にはたらいて然るべきなのかもしれないが、
猫耳のまま、
お尻を後ろに突き出して
顔を横に向けてこっちを見る
おじさんのその着地のポーズと直後のニャンに、
なんだか無性に腹が立った。
見るとおじさんはカエルを模したフード付き全身タイツを着ていて
それがさらに僕の感情を逆撫でし、苛立ちを増長させたのかもしれない。
そんな僕の気持ちを察してだろうか、
おじさんは右手で手招きしながら、左手を口元にあて
「すまんの、お詫びに特別、ここだけの話、ここだけの話」
というではないか。
近づくと僕の耳元でおじさんは
「ここだけの話、ぼくね、一時期カピバラに育てられた事があるんだ」。
スパーンッ!
今振り返って考えると、反射だったとしか言いようがない。
迷いや躊躇いなど感じる間もなく
気付いた時には僕はおじさんのお尻を思い切り蹴飛ばしていた。
「ブヒーーーィィィィィィ・・・・・・」。
おじさんの叫び声が京都鴨川六条の河原に響き渡り、
晩夏の夕暮れ空に消えていった。
これが僕と六条おじさんとの出会いだ。