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星の子たち (第6回 私立古賀裕人文学祭 応募作品)


神は「光あれ」.と言われた。
そうしてこの世の中は光で溢れた。
世界5分前仮説が正しければ5分ごとに光ってる事になる。
光、溢れすぎ。
「ごらん、この世界はこんなにも光で満ちているんだよ。」
みたいな。

まちゃあきは「星3つ」と言われた。
そうしてこの世の中は星で溢れた。
どこの何を見ても星だらけ。
Googleマップだー、食べログだー、FANZAだー、やれ3つ星だー、やれ5つ星だー
と騒ぎ立てている。
全く騒がしいことよ。
気付けば周りは星だらけ、
星に囲まれている、いや星に支配されていると言ってもいい。
「その日、人類は思い出した。星に支配されていた恐怖を…」
みたいな。


これは遥かなる星と光の物語


ではないけど
元々まちゃあきはが3つと言ったもんだから
星は3つワンセットで存在するものになった。
らいてう「元始、女性は太陽であった。」
まちゃあき「元始、星は3つであった。」
みたいな。

約1970年代くらい半ば頃くらいのころからエコ、省エネなどといった
いわゆる環境に配慮しようという運動が起きた。
そのムーヴメントは必然的に3つ星にも向けられた。
なぜ3つなのか?
3つでなくてもいいのではないか?
3つじゃなきゃいけないんですか?

市井の声としても
・3つだと大きすぎで押し入れにしまえない。
・3つだから食費も3倍だわ。
・絞る時に3つだと幼児には重労働だ。
・3つでは「結婚を視野にお付き合いしてるの」とお父さんに紹介できない。
・3つでは労働基準法に抵触する可能性がある。
などが挙がっており
3つ星に対する人々の不満は徐々に確実に募っていった。

そうした社会のムードを背景にした1982年冬、
SONYがついに星の分割化に成功した。
さらにその2ヶ月後には
携帯できるサイズまでの小型化にも成功した。

これにより星1つを気軽に持ち運べる時代に突入する。
あるいは星1つを気軽に持ち運べる時代がやって来た。
「行くの?来るの?どっちなの論争」は
ここに端を発するのだが、それはまた別の話。

星を携帯しはじめた人類が次にすることと言えばアレしかないのは
もはや説明不用であろう。
3つ星時代から1つ星携帯時代、
その後のアレ時代と時間は流れ、
星一徹、星飛雄馬の時代を経て
そうして生まれたのが
星一郎、星二郎、星三郎であり
その一郎の息子が
稀代のショートショーター
星新一その人である。

また
二郎の息子がつのだ⭐︎ひろ
三郎の息子がダイヤモンド⭐︎ユカイ
であることにも留意し
彼らの今後の動向に注目していきたい。

ちなみに余談ではあるが
バファリンの成分の半分はお母さんの優しさだとしたら
まちゃあきの半分はテーブルクロス引きである。

(了)

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