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巨匠の人間力~藤子不二雄Ⓐ先生 生誕90周年

2024年3月10日、漫画界の巨匠、藤子不二雄Ⓐ先生が生誕90年を迎えた。
今回は90周年を記念して、2014年6月21日に行われた「手塚治虫文化賞特別賞受賞記念&@ll(オール)藤子不二雄Ⓐ刊行記念トークショー&サイン会」の模様を振り返りたいと思う。


「@ll(オール)藤子不二雄Ⓐ」とは

生誕80周年を記念して刊行された記念本。
数々の作品を生んだ藤子不二雄Ⓐ先生の仕事ぶりに迫る内容で、インタビューや貴重な資料の掲載の他に、QRコードを読むことで、主要33作品合計3000ページ以上を無料で読むことが出来る一冊である。

トーク&サイン会の概要

このイベントの概要は以下の通り。

  • 日時:2014年6月21日(土)14:00開演

  • 場所:東京八重洲ブックセンター8階ギャラリー

  • 定員:100名

  • 約40分のトークショーの後、サイン会(流れ解散)

イベント参加整理券の配布は開始40分、史上最速で配布終了したそうだ。

邂逅は突然に

東京駅は広い。
八重洲ブックセンターが八重洲口を出てほどなくあると言っても、結構な距離だ。書店に着いたのは、開演10分前くらいになってしまった。

汗だくの私は店内奥のエレベーターに直行した。
どうやら同乗の方々もイベント参加者らしい。エレベーターはゆるゆると8階を目指す。

すると7階でピタリとエレベーターが止まる。
急いでいるのに7階から誰か乗るのか、1階くらい階段で上がったらどうだ、などと身勝手なことを思ったと同時に扉が開いた。
そこに立っていたのは―。

白髪に長いもみあげ、色の濃い眼鏡、粋にピンクのジャケットを着こなす男性―。そう、子供の頃から雑誌などで何度となくご尊顔を拝見した、藤子不二雄Ⓐ先生その人であった。

あまりに普通に、レジェンドが、漫画界の巨匠が、そこに立っていたのである。

7Fに控室があるようで会場に向かおうとしたのかもしれない。
結局はスタッフに呼び止められ、エレベーターには乗らず。ただ興奮したファンたちを乗せて8Fに着いたのだった。

トークショー

会場は赤ん坊から壮年までのファンでひしめきあっていた。
さすがの裾野の広さである。
14時。トークショー開演。
先ほど見たままの出で立ちで藤子不二雄Ⓐ先生が登場。
会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
そして、まずは記念イベントということで花束の贈呈。再び拍手。

一緒に登壇するのは、トークショーではおなじみの小学館編集者、通称「藤子不二雄Ⓐ先生のGPS」西堀靖氏。

以下、トークショーメモより(カッコ内は補足)。

3月10日に80歳というすごい歳になって、たまたまその時に(賞を)頂いたもんですから、非常に嬉しくて。
僕のパートナーだった藤子・F・不二雄氏と二人で手塚先生に憧れてこの世界に入ったわけで、手塚先生がいなかったら絶対漫画家になっていなかったんでね。その後もずっとお世話になって、その手塚先生の冠の付いた賞をもらうなんて本当にラッキーだったと思って非常に喜んでいます。

手塚治虫文化賞受賞の感想

この本の企画は一昨年ありまして、今まで描いた漫画を収録しようという考えで。(仕事量・作品数が)あまりにも複雑怪奇なもんですから、慌てないで僕の80歳になった年と合わせて出そうと言うことで今年発売したわけで。僕の集約されたおそらく最後の本になると思うんでね(笑)こうやってお話しするのもこれが最後なるかも(笑)

@ll藤子不二雄Ⓐ刊行について

非常に恥ずかしい写真。
企画が始まった時にふざけて撮った写真でね(笑)おそらく今回は入ってないだろうと思ったらこういう見開きになって入っていたんで僕自身がギョッとしました(笑)

付属のポスターピンナップを西堀氏にどうすれば良いのかと問われ

僕らの時代は戦争中でね。とにかく明日が無い時代に少年時代を送りましてね。戦争が終わった時にジョン・ヒューストンの「アフリカの女王」(1951年)でキャサリン・ヘプバーンの「明日に伸ばせることを今日するな」というアメリカの余裕が非常に感動しまして、それ以来、明日に伸ばせることは明後日にも明々後日にも伸ばしてやってきたんでね(笑)
ゆとりをもって生きた方が良いんじゃないかと、この言葉を格言にしてるんですよね。

「明日に伸ばせることを今日するな」の格言について

僕はいろんなことに興味がありましてね。
色んなジャンルを描きたいと思ったけど、実際雑誌の上でそれを描くというと、編集者が大体反対するんでね。あんまり売れない雑誌をターゲットにして。秋田書店とか、別に秋田書店が売れないていうんじゃないけど(笑)。言っちゃ悪いけど一種のテストに描いてみて。
どういう傾向描いたら人気取るとかいう計算は一切なくてね、自分が読みたいけど誰も描いていない、それじゃあオレが描こうかっていう感じで描いたからジャンルが広がったと思うんですよ。

色んなジャンルを描かれてきた点について

僕らの「藤子不二雄」のアニメの主題歌って言うのは、大体ほとんど僕が作詞をしたんですよね。そういうことが非常に面白くてね。オバQ音頭は当時100万枚売れてね。全く売れなかったのは「笑ゥせぇるすまん」の主題歌で「孤独の唄」っていうのがあってね。なかなか良い詞書いたんだけど、あまりにも寂しくてね。僕はよくカラオケでしょっちゅう歌うんでね、印税来るんですけど、ほとんど僕の歌った印税だから(笑)

「作詞家」藤子不二雄について

描き文字っていうのは、映画の音響をなんとか漫画の上で表現できたらと思ってね。読者がそれを見た時に、音響が同時に聞こえるようなつもりで、自分もノリノリで描いたんですね。
額縁はね、特に強調する場面を額縁にしたんですね。「毛沢東伝」(1971年)の時に出来るだけリアルな効果を描こうと思いましてね。額縁の中に写真を白黒だけの効果を入れたり。全編16ページが真っ黒けになって。自分としてはあれが色んなトライが出来たし、非常に面白かった。

描き文字・コマの装飾について

(藤子スタジオで)一緒に机を並べていて、藤本氏はほとんど身体が弱いですから、(夕方の)6時くらいになると大体家に帰るんですね。僕はお酒飲んだり、いろんな遊びをやってね。
僕は仕事も一生懸命やりますけど、遊びって言うのも人間を作っていくので、僕の漫画はほとんど空想で描いたものは無いんですよ。ここが藤本氏とえらい違いで、藤本氏は天才ですから、頭(空想)で全部描けるわけですよ。僕には絶対出来ないんですよね。

F先生について

ホントに読まれると驚くと思いますけど、僕が当時21か2で、テラさんが23か4で、3つか4つしか違わないんですね。トキワ荘の道順とか用意するもの、ナベ・カマ・フライパン・しゃもじ…とかずーっと書いてある。本当にこんな手紙を24歳の若者がね、僕らにくれる思いやりっていうか優しさっていうかね、今でも僕はこれを読むと、泣けてくるんですけどね。

巻末の「テラさんからの手紙」について

若い人はみんなスマホ見てね、横にいる人とスマホで会話したり。そういうんじゃなくて、人間は人間と裸で喋り合ったり付き合わなきゃダメなんですよ。もちろん嫌なこともあるけど、それも大きな体験でね、それによって人間は成長するわけで。
僕は本当にトキワ荘にいてテラさん居て石森とか赤塚とか一緒にいろんな毎日を送ったことが僕の財産でね。それを強調したいと思う。

藤子Ⓐ先生80年の思い

サイン会

40分強のトークショーが終わり、サイン会の準備をする間、参加者による藤子Ⓐ先生の写真撮影が許可された。
藤子Ⓐ先生側も、当時連載中だった「PARマンの情熱的な日々」(2007-2015)用に参加者の写真を撮る。

Ⓐ先生お得意のピースサイン

トークショー開始前には、抽選で50名のみサインをする予定が、先生のご厚意で100名全員にサインをすることがアナウンスされていたため、この日二度目の朗報となった。

サイン会は入場時に配布された順番に呼ばれ、一人ひとり丁寧に行われていく。ギリギリで入った私の順は最後の方だが、藤子Ⓐ先生と同じ空間に長くいることがなんとも嬉しかった。

そしてついに私の番。
この一ヶ月前に富山~高岡に旅行していた私は、その旨を伝えた。
先生は、「氷見も良いところだから是非行ってみてください」と声をかけてくださり、がっちりと握手をした。80歳ながら、力溢れる温かい手であった。

サイン会後は流れ解散だが、最後まで残るファンも多い。
最後は万雷の拍手で幕となった。
その後名残惜しく、7Fの控室に戻るまでお見送りをしたのだった。

藤子Ⓐ先生の持つ人間力

よく、人気のある著名人はみな良い人だと聞くが、藤子Ⓐ先生もその例に漏れない。
話好きでサービス精神旺盛、誰も傷つけない優しさがあり、人中で揉まれて洗練された立ち振る舞いがある。
トキワ荘の研究で、「安孫子素雄」という男が、トキワ荘の天才たちを結び付けたという評があるが、これは真実だろう。
「アビちゃん、アビちゃん」と親しまれる人間力は、個性の強い漫画家同士の中で、大きな潤滑油となったことだろう。

わずかに二度、時間にして4時間弱しか同じ空間にいなかった私ですら、すっかり虜にされた。

もちろん、それまでも作品を読み大ファンではあったが、私はこのイベント以降、作品を読み返したり富山・高岡・氷見に行ったりと、益々ファンになったのであった。

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