読書習慣の原点―ズッコケ三人組
記憶
小学生も中学年になったある日、私は風邪をひいて学校を休んだ。しかし、3日目ともなると熱は下がり暇を持て余していた。だからと言って起き上がってテレビを見たりゲームをしたりすれば母親に叱られる。手持ちの漫画は何度も読み返したし、散々眠ったので眠くもない。仕方なく手に取ったのが、兄の部屋から拝借した「ズッコケ三人組」だった。
当時の私は絵本を卒業して以降、読書の習慣が全く無かった。文字ばかりの本の何が面白いのか。そう思って暮らしていたが、退屈よりはマシである。最初に手に取ったのはたしか「うわさのズッコケ株式会社」の文庫版だ。「ズッコケ三人組」シリーズは、以前、寝る前に母親が読んでくれたことがあり存在は知っていた。自分ひとりで読むのはその時が初めてだったが、その面白さにすぐにのめり込んだ。結果、ほとんど間を置かず家にある兄所蔵のシリーズは軒並み読んでしまったのだった。
この体験で味を占めた私は、その後図書館で様々な本を借り、中学に上がる頃には一般の文庫本を当たり前のように読むようになっていた。つまり「ズッコケ三人組」シリーズは、私の読書習慣の原点なのである。
「それいけズッコケ三人組」
「それいけズッコケ三人組」は、その後50作に及ぶシリーズの第1作である。そもそも「ずっこけ三銃士」として学習雑誌に連載されたものを改題、まとめたものなので、その後のシリーズとは異なり、5作の短編から成る短編集となっている。
短編集であるから気軽に読み進めることが出来、これから長大な50作に挑戦する読者にとってもハードルは低めである。それでいてそれぞれのエピソードは、後のシリーズの事件・冒険を彷彿とさせる内容が詰まっており、初めからしっかりと「ズッコケ三人組」であると言える。
時代を超えて
それにしても今読み返すとさすがに隔世の感がある。
インターネット・携帯電話はおろか、ファミコンも無い時代の小学生の、緩やかな日常はもはや遠い昔である。家のカギをかけていないために泥棒が入ってきたり、トラブルに巻き込まれてもすぐさま連絡は取れない不便さはあるものの、そこには一億総中流時代の大らかさがある。
その大らかさに守られてか、子どもたちの行動も随分と大胆だ。時には中学生の女子と「決闘」をするし、クイズ番組ではとんでもない不正をさらりとやってのける。現代なら「暴力だ」「不正だ」と顔も知らない相手に糾弾されるようなことかもしれないが、作中にそんな雰囲気はなく、それでいて最後にはハチベエたちも不正をしなかったことに「これで良かった」と思う。その辺、当時の子どもは無茶をする分、わきまえていたように思う。
戦争を直接知る世代もほとんどいなくなったことや、休日の数も変わったことなどにも気付かされ、随分と時代が変わってしまったようにも感じるが、日常から逸脱する痛快さは今も昔も子どもの世界で通底する。
読者と同じようにどこかに欠点があり、決してヒーローではない三人組がそれぞれの個性をぶつけたり協力したりしながら、普段出会わないような事件や冒険に挑んでいく様は、時代が変わっても魅力的なものである。
おわりに
子どもの読者には時代背景など気にせずストーリーを楽しんで欲しいし、大人になった読者には単なるノスタルジーだけでなく、あの頃の子供の「たくましさ」に明日への活力を得て欲しいと思う。
最後に、改めて今年亡くなった作者・那須正幹先生に、あの日、読書というかけがえのない喜びに気づかせてくれたことに感謝申し上げたい。