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父からつなぐこと

僕の父は26年と6ヶ月前、僕が20歳の誕生日を迎えた2週間後、突然に死んでしまった。朝、いつも起きる時間になっても起きてこない。寝室を見に行ったらすでに冷たくなっていた。検死では急性心不全。太っていたし酒も煙草もひといち倍多かったから仕方がないと思った。その日、父を救えたのは僕だけだったから、そう思うしかなかった。

僕は父に興味がなかった。僕が3歳のときに母は他界し、父と、母親代わりの祖母と伯母に、兄とともに育てられた。父と遊びに行った思い出もないし、話したことも記憶がない。

父はいつも仕事からの帰りが遅く、いつも酔っていた。酔っていて殴られるとかそういうことではなくて、そもそも会話をする環境がなかった。接点がなかった。友人には仲が良い父子だと言われたことがあるが、薄い関係ゆえの良い関係に見えたのかもしれない。

仕事人間を理解できない子供の僕は、父は僕に興味がないのだろうと思って、僕も父に興味を示さなかった。パソコン関係の会社で部長をしているということだけで、詳しいことはよくわからない。ただ、専門学校を卒業してもフラフラしていて、親戚のコネで丁稚のようなカタチで職に就いたというのは、父の死後に誰かに聞いた。

父が死んだ朝、誰よりも早く駆けつけた、父が勤めた会社の社長は「しばらく金がかかるだろう、何も言わずに受けとりなさい」と札束を持ってきた。父の葬儀には400人以上が訪れた。焼香の列が長すぎて葬儀場に収まらない。お経をすべて読んでしまったらしく、初めて聞く歌のようなものをお坊さんが歌っている。焼香の列には、当時のアップルコンピュータジャパンの原田社長がいる。派手めな女が借用書を持ってきている。棺の横では、秘書に抱きかかえられながらSEIKOの会長が泣き崩れている。

父はどんな人物だったのだろうかとそのとき、初めて興味を持った。

葬儀が終わって、親族の控え室で伯母から「お父さんはお前を20歳までは面倒を見ると言っていたんだ」と聞かされた。「お前が20歳になって、安心してお母さんのところに行っちゃったんだろう」とも。僕の20歳の誕生日も、父は仕事で帰りが遅かった。「成人を祝ってやれなかったことを後悔していた。いっしょにお酒を飲みに行きたかったと言っていたよ」。父の死は突然のこと過ぎて、実感がなくて、そもそも悲しいという感情もなくて、それまで涙を流すこともなかったけれど祖母からそう聞いて、はじめて泣いた。

今、僕も働くようになって、家族がいて、仕事で悩んだり行き詰まったりすると、父だったらどうするのだろうと考える。

父親になって、僕はこの子たちに何を伝えられるのだろう、僕が成人を迎えた日、父は僕に何を伝えたかったのだろうと考える。

大学の入学祝いにもらったSEIKOの腕時計は、28年経った今でも使っている。父が会社から持って帰ってきたMacintoshをきっかけに、それからずっとMacを使い続け、そのおかげで仕事にも恵まれたし、いろいろな人にも出会えた。子供のころから、何不自由なく過ごしてきた。結局、僕は今でも父に生かされているのだと思う。父は、素晴らしい父親だったのだろうと、感謝している。

ただ、後悔しながら死なせてしまったことと、腕時計やMacよりも貴重な父の話を聞けなかったことが、ただただひたすらに、残念でならない。

#夜中のヒトリゴト
#エッセイ

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