僕の父は26年と6ヶ月前、僕が20歳の誕生日を迎えた2週間後、突然に死んでしまった。朝、いつも起きる時間になっても起きてこない。寝室を見に行ったらすでに冷たくなっていた。検死では急性心不全。太っていたし酒も煙草もひといち倍多かったから仕方がないと思った。その日、父を救えたのは僕だけだったから、そう思うしかなかった。 僕は父に興味がなかった。僕が3歳のときに母は他界し、父と、母親代わりの祖母と伯母に、兄とともに育てられた。父と遊びに行った思い出もないし、話したことも記憶がない
あぁ、ちょっと酔ってきたな。明日は朝からめんどくさい会議だから帰ろうかな。あたしがそう思うころになると、そのひとはいつも決まって現れる。 「こんばんは」 18から始めた飲み屋通いももう10年になって近場は行き尽くしてしまったものだから、少し離れた街で店を探すのが楽しみになっていた。そんなとき、たいていは1度切りで行かなくなるのだけれど、ちょっといいなと思って2度目に行ったバーでそのひとに会った。 「こんばんは」 あ、どうも、こんばんは。 「こちらにはよくいらっしゃるので
10年前のこと。 とあるサーキットイベントで私は管制室に入っていました。タイムスケジュールの管理や、スタッフさんへの指示や、フラッグを出すタイミングなどを判断してオフィシャルさんたちに指示するためです。 セッションの終わり間際、管制室のスタッフさんが「いま最終コーナーを立ち上がった車両からチェッカーにしますね」と言いました。 その車両のドライバーは常連のお客様で、そのセッションは遅れてコースインしていたのを私は管制室から見ていたので、『もう1周、走らせてあげよう』と考え
東京23区には500近くの駅があるらしい。千葉県柏市に住む私は、常磐線が乗り入れる千代田線沿線の駅の利用頻度が高くなりがち。 幼少期を過ごした、飲み屋ひしめく北千住、学生時代から今も通う原宿の玄関口である表参道、横浜方面の乗り換え駅になる明治神宮前に次いで利用回数が多いのが、乃木坂。ホンダ本社、ミッドタウン、いちょう並木に打ち合わせや取材で訪れたり、渋谷まで歩く途中に国際連合大学のイベントに参加したり。ユナイテッド・アローズの本社に行ったこともあった。 乃木坂駅を乃木神社
父を殺したのは、私だ。 いつも帰りの遅い父が、珍しく定時上がりで帰ってきた。 「調子が悪い。風邪引いたかも」 そう最期に言って卵かけ御飯だけを食べて、21時には寝室に入った(死ぬ間際の人は卵かけ御飯を食べたくなる、なんて話を聞いたことがある。確かに)その9時間後、父は死んでいた。それは突然のことのようだが、私は、目を冷たく見開いた父を見たとき「あぁ、マジかよ。やっぱりそうだったのか」と口に出た。 あの声は今でも耳から離れない。父が寝室に入った2時間後、23時くらいに、
9歳の娘が、俺のお袋の顔に似てきたらしい。 お袋は背が高かった。Webで見つけた厚生労働省のデータによると、1944年生まれの女性の20歳時の平均身長は150cm前半だが、お袋は170cmあったらしい。生前のお袋の記憶は台所に立つ後ろ姿しかないのだが、確かに背が高かった。2歳の俺の背が低すぎただけかもしれないけれど。 幼い頃の俺は親父に似ていると言われた。紳士服の仕立て屋だった伯父から、親父の死後に贈られた俺の礼服は「お前は肇みたいに太るだろうからよ」と、親父の体型をイメ
9歳の娘が、俺のお袋の顔に似てきた。 お袋は背が高かった。Webで見つけた厚生労働省のデータによると、1944年生まれの女性の20歳時の平均身長は150cm前半だが、お袋は170cmあったらしい。生前のお袋の記憶は台所に立つ後ろ姿しかないのだが、確かに背が高かった。2歳の俺の背が低すぎただけかもしれないが。 幼い頃の俺は親父に似ていると言われた。紳士服の仕立て屋だった伯父から、親父の死後に贈られた俺の礼服は「お前は親父みたいに太るだろうからよ」と、親父の体型をイメージして
卒園式がなくなってしまったので、その台本をせめてここに。 卒園式「好きなことをみつけよう・機会を与えよう」 ───卒園児向け─── そつえんおめでとうー!(来賓席から立ち上がってクラッカーを鳴らす) みんな元気かーい!? 卒園したらどこに通いますか?知っているひとー!?(はーい!おぅ○○○、しってるのか、どこだ!?) そう、小学校だよね! 小学校では、勉強をたくさんします。算数、国語、理科、体育、音楽… 勉強をすると、できることがどんどん、増えます。 計算ができた
親父は何者か知らなかったし未だにわからないのだけれど、唯一知っていることは、写真を撮るのは好きだけど撮られるのは嫌い。 親父とふたりで写った写真は無い。おふくろは撮るのが嫌いだったのか、カメラすら持てない身体状況だったのかもしれないという想像。 撮る人と 撮られる人と 親父が撮った写真の中には、母や兄や祖母祖父に抱かれている私しかいない。 私は親父に似てしまって撮るのが好きで撮られるのは苦手だから、せめて、自撮りをする。 この写真たちが残っている
上野恩賜公園の桜が満開だ。ここ数年、桜の季節は上野に来ている。今年はコロナウイルスの影響か人は少ない。今週末は雨の予報が出ているから、おそらく今が見頃なのだろう。 見頃、と書いたけれど、私は散り際の桜がもっとも好きだ。上野駅から上野東照宮まで歩いて、ライトアウターの下にうっすらと汗をかくような風が吹いている。ひらひらと名残惜しいように舞う花びらを捕まえて、桜笛をならす。ピーッっと高い澄んだ音がしたり、ブルブルブルッと鈍い音がしたりして、花びらは破れる。花びらを捕まえるたびに
頭上を不安と恐怖が覆っていくなか、上野恩賜公園の桜が満開だ。ここ数年毎年訪れているが、今年は宴会をする人びとが少ないこと以外は、桜が放つ透明感も儚さも空の青さも、変わりがない。上野駅の公園改札は工事が終わって様変わりしていたけど。 上野東照宮まで歩くと、ライトアウターの下にうっすらと汗をかくような風が吹いている。41歳になって初めて昨日、ワキ下用の制汗剤を買った。汗のかき始めは臭いからね。こんなに便利なもの、なんで今まで使わなかったのだろう。学ぶべきことは何歳になっても多い
バス停に向かって歩いていると、近所の方が声をかけてくださった。 「駅に行くんですか?乗って行きます?」 昼食へ行くついでに。ナンバーの分類番号が2桁のマツダセンティアは、20年以上乗っているそう。乗り込む前に「駐車場の上の木に住む鳥がフンをするんでね、毎日拭いてやらんとならんのですよ」と、トランクからタオルを取り出す。内装も綺麗に保たれていて、このクルマを大事にしているのが伝わってくる。 「6気筒でチカラがあってね、いいクルマです。私ももう85になったし妻も
今夜は風が強い。青々と夏色の街路樹から、枯れた葉が舞っているよ。 必要とされないことは悲しいけれど、必要とした人と別れることは俺は、もっと悲しい。 あなたはいつも俺を許してくれた。俺はあなたを必要としていた。俺にとってあなたは、幹だった。 夏の街路樹のように、濃い色の大きな葉をめいっぱいに広げて美しいあなたをすぐ側で見たかった。 俺は枯れた葉なのかな。でも、枯れた葉はやがて土になって、その上に花を咲かせるのだろうね。 あなたは、たくさんの葉を広げてください
タイムズスクウェアを走る僕を 2階建てバスの上から眺めてる 気持ちだけでここまで来た僕を 壁際にたむろしながら笑ってる 息を切らして喧噪のなかを走る こんなにも必死なのは僕だけだ ショーウィンドウに映る僕の姿が ちょっとだけカッコヨク見えた あなたにも、言ったけどさ Lexington Ave.をPABTに向けて歩く ハーレムからタイムズスクウェアへ 変わりゆく、色、音、空気 僕の気持ちも 不安とともに煌びやかになる 1分でも早く会いたい 1秒でも早くあなたの声が聞き
子供のころ父の言い付けで、田舎に住む母方の祖父母に向けて季節ごとに手紙を書いた。母の記憶が無く、滅多に会わないその人たちとの関係性も理解できてない幼い私は祖父母に対して何を書けばいいかわからず、それはそれは憂鬱な作業だった。 ーーー 私が成人して直後の、父の死後、箪笥の引き出しにたくさんの手紙を見つけた。父が病床の母に向けて書いた手紙だった。父は書道を習っていたらしく、草書で書かれたその手紙は私にはほとんど読み取れなかった。でも、所々の読める文字を追っていくと、徐々に悪化
先日、父親みたいに歳の離れた従兄と話をしました。 私が最近よく耳にする言葉を使って「お前は『鈍感』になれ」と言います。 ーーー 生きていると、辛いことも悲しいことも悔しいこともたくさんある。まわりは立場を武器にしたり自分勝手にそれらを話してくるから、その都度お前が受け取っていたら、立ち止まり、自信を失い、苦しくなるだけだ。 自分の限界を決めるな。仕事でもなんでも幅を拡げていって実行しろ。最初はやれずに苦労するだろうが、やれるようになったときに拡げた幅の中に余裕