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次世代に渡す
先日、父親みたいに歳の離れた従兄と話をしました。
私が最近よく耳にする言葉を使って「お前は『鈍感』になれ」と言います。
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生きていると、辛いことも悲しいことも悔しいこともたくさんある。まわりは立場を武器にしたり自分勝手にそれらを話してくるから、その都度お前が受け取っていたら、立ち止まり、自信を失い、苦しくなるだけだ。
自分の限界を決めるな。仕事でもなんでも幅を拡げていって実行しろ。最初はやれずに苦労するだろうが、やれるようになったときに拡げた幅の中に余裕ができる。
余裕をもて。なんでも自分でやって、技術や経験や知識を重ねて余裕をもて。余裕をもてば、鈍感になれる。
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その従兄は私の父に恩義を感じているようで、ずいぶんと気にかけてくれています。20年前、父が他界してから間もないころ、従兄は「お前が経験したもの全てを言葉として次世代に渡せ」と私に言いました。
言葉にするには、私のフィルターを通さなければならない。見聞き体験したものを、自分のフィルターを通して言葉にしないと、それは次世代に渡した、とは言えないと思うのです。
編集者やライターとして言葉や記事に自分のおもいを乗せるのは、そういう理由。